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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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チシェビャツフ宮殿-Palace in Trzebiatów-
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この宮殿はフォアポメルン州北部のチシェビャツフの街にある新古典主義様式の宮殿。
宮殿の起源は12世紀に遡る。
1224年にチシェビャツフにあった土地はこの地域を統括する修道院長のBogusławie I の助言で、ポメラニアの公爵未亡人のアナスタシアが尼僧となり、1285年に古い城が建設され、その西側に聖ニコラウス教会が建てられたところからキリストの布教に従事した。
16世紀になると城や教会はポメラニア公爵の王子の世俗的な所領となった。
1560年に修道院と城はルネッサンス様式に建て替えられた。1619年ポメラニア公爵フェリペ2世の夫人だったゾフィー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルスタインがこの城を受け継いだが、彼女の死後、この城はブランデンブルクの公爵のものになった。1679年に城が火災で焼失すると再建された。1690年にはプロイセンの王のフリードリッヒ1世のものだったが、1761年には一時的にロシアの兵舎を置いていたように持ち主が目まぐるしく変わっていった。そんな中で1750年から1791年にかけては(一時的には変わったけれども)ビュルテンベルク公爵の持ち物だった。最初はフレデリック・オイゲンが住み、後のビュルテンベルク公国の王であるフリードリッヒ1世と大公妃エリザベートが新婚時代を過ごした。
その間に宮殿は新古典主義の宮殿に生まれ変わった。そしてそこにはMaria z Czartoryskich Wirtemberskaが1785年から1,790年まで住み、画家のJan Rustemがゲストとして招かれていた。1797年から1811年にかけてはこの地域の軍の統率者であった元帥のGebharda von Blücheraが住んだ。彼はその後Trzebiatówの市長になると、宮殿の一部を取り壊しそこをアパートや貸事務所とした。そこは宮殿としての機能が無くなり、やがては荒廃していった。
第一次世界大戦が終わるとこの宮殿は農業学校へと変貌した。
1945後は、さまざまな機関が収容された。兵舎、オフィス·、アパートなどに使用された。1989年以来、その内部にある公立図書館とTrzebiatowski文化センターへと変換されていった。


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