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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
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コッヘム城-Reichsburg Cochem-
Reichsburg Cochem
Reichsburg Cochem
Reichsburg Cochem



コッヘム城はラインモーゼル観光の目玉ですが、この地を拝領したのは866年に神聖ローマ帝国の官吏エッツォネンだという説が有力です。そしてその息子のロレーヌ王(仮定としてプファルツ選帝侯の称号だったかもしれないけれど)ヘルマン・プシルス・フォン・ロートリンゲンがこの領地を受け継ぎ城を建てたとか。1130年3月の記録にはコッヘム城の前を通る船は税金を徴収されていたとの話。また1075年ケルン大司教のレポートによるとプファルツ選帝侯というか伯爵がこのコッヘムで妻を殺したという記述があるらしい。
こうしたいざこざがあるために1151年には神聖ローマ皇帝コンラット3世は城を包囲し、この城を征服するとこの城はReichsburg Cochemと皇帝自らが周辺を監視する城として存在するようになったという。
とはいっても広い領土を統括する皇帝がいちいちこの場にはいることはできず、大臣クラスの子爵が騎士団を結成させ管理したが、1282年ルドルフ・フォン・ハプスブルクが神聖ローマ皇帝に就くとこの地はケルン大司教ジークフリート・フォン・ヴェスターブルクが所有権を主張。ルドルフは手始めにこの城を包囲。帝国軍相手ではいくら権力のあるケルン大司教でもひとたまりもなくこの城を明け渡した。群雄割拠の中世後期、神聖ローマ皇帝になったハプスブルク家もなめられていたもので、この一件で少しは諸侯の一目が取れたのかな?この城を管理する子爵にはシェーンブルク家が就いた。
1294年、皇帝となったアドルフ・フォン・ナッサウはトリアー大司教のBohemond I. von Warnesbergにコッヘム城を含む50か所の領地を戴冠式の式典資金のために売ることとなった。皇帝になるってのもお金がかかる。
しかし、その後継の皇帝がまたまたハプスブルク家のアルブレヒトになったから、彼はこの城は皇帝のものであると主張しだし、その時のトリアーの大司教がボルデュイン・フォン・ルクセンブルクだったため、どこかで二人の会談を開こうとロレッタ・フォン・スポンハイムの計らいで彼女の城で会談が行われて、何とか事なきを得たという。
何を隠そうトリアー大司教の資金源は神聖ローマ帝国の重要な場所。仲良くお互いの立場を理解して譲れるところは譲るという精神。大国といえど小国の集まりの連邦帝国だから、金のある国には逆らえないということらしい。
でも連邦国の中でいろいろと事を進めていると周辺の強大国、フランスやプロシアという国々がハプスブルク連邦国家を脅かしに来る。
プファルツ継承戦争のあと、ルイ14世率いるフランス国王軍とトルース侯爵フィリップ・オーギュスト・ル・アルディがこの地に攻め入り、コッヘムは完全に占領され城は破壊するよう命ぜられた。
その後もフランス革命軍がモーゼル川を遡ってこの地まで来て城を又しても破壊した。1801年にルネヴィル和約によりフランスに併合されたコッヘムは1814年のウィーン会議でプロイセンの領地となった。
1868年にベルリンの実業家Louis Fréderic Jacques Ravenéがこの土地を買うと家族のためのゴシックリバイバル様式の城を建てることを計画した。Hermann Endeによる設計。
まずはがれき処理、そしてシュミット氏の指揮の基1868年から始まり1869年には胸壁にそって漆喰をぬる壁を造っていった。1874年から1877年にかけて城の再建はかかったが、まったくもって中世の城を再現することなど無理。時代はドイツ産業革命まっただ中、中世にはなかったトイレや風呂なども造る。だから魔女の塔などと言われる塔の中心にはトイレを造っちゃったりして、外見はいかにもの姿だが中身はなんちゃって中世よろしく近代的になってしまう。でもそれもナティスの政権下ではこの城を売り渡すしかなかった。それだけだったらよかったがアメリカの爆撃によって城ごと破壊されてしまった。
でもこういったことがあっても、観光地としての中世の城は魅力的ですやがて西ドイツの復興とともに城は再建され、観光の目玉となっています。


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