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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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モズナ宮殿-Pałac w Moszne-
Moszna Palace
Moszna Palace
Moszna Palace
Moszna Palace


クラクフとブルトニクの間に位置する村に14世紀司教区が設けられその司教モズヒからこの地の名前は由来する。
その司教区の元祖はテンプル騎士団に所属していたらしい。1679年にモズナ家からスカル家に所有者が変わり、最後の当主マリア・ウルスラ・フォン・スカルが亡くなると、領地は彼女のいとこゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ライセヴィッツが受け継ぐようにプロイセンのフリードリッヒ大王の勅命が下りた。彼はバロック式の宮殿を建てたが、その資金繰りに苦しむと、1771年に Heinricha Leopolda von Seherr-Thossaにこの地を売った。1853年にはHubertowi von Tiele-Wincklerに宮殿は所有されることになった。
彼の父はMiechowiceで働くただの鉱夫だった。それがその鉱山の所有者が亡くなりその未亡人 Marią Aresinと再婚したために一挙に巨万の富を得ることとなった。
強かなティエル・ヴィンクラーはそのついでにプロイセン王から1840年に爵位も授与されることとなった。
産業革命の最中、一般人も貴族となるチャンスがヨーロッパには有ったんですわ。

宮殿の中央部分のバロック様式の建物は1896年に焼失。1900年にネオゴシック様式に建て替えられた。
1912年から1914年にかけて西翼をネオ・ルネッサンス様式に建て増しした。
庭園にはシャクナゲの木を沢山植え、城の感性の折にはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世を招いたりした。ドイツ人の建てた城によるものだったが、第2次世界大戦では破壊を免れたが、1945年にテレ・ヴィンクラー家がソ連に追いやられるように去ると、ソ連の軍隊がこの宮殿から家具や調度品を悉く盗んでいった。
それは何処へ流れていったのだろうか?
城の部屋数は365室と99の塔を持っている。まるでフランスのシャンボール城。
そしてこの城の礼拝堂を造る前にその場所には昔のモズナ家ゆかりの地下墓地があったようだが、あまりの水の噴出に墓地が埋没してしまい。墓地を庭園の中に移動させたとのこと。その地下は一般に公開している。
今はポーランドオボーレ県の神経外科の治療センターになっている。


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