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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ビバーステイン城-Schloss Biberstein-
Schloss Biberstein2
Schloss Biberstein1
Schloss Biberstein


城はアーレ川の断崖の上にあり、西側のテラスや壁は濠に面している。二つの尖塔にはさまれたアーチ状の城門へ渡すための10メートルの長さの跳ね橋があり、城門を入ってすぐに納屋がある。城の母屋の形はそれに応じて八角形の不規則な形をなし、屋根は何度かの火事によって焼け、最新の寄棟造りとなり、地下と二階などに見られる古いものは後期ゴシック様式の造りになっている。また、エントランスホールのゴシック様式の柱から伸びる天井への曲線の交差する様はまるで星々が天井にあるかのような風景である。


城は13世紀ハブスブルク-ラウフェン伯爵によって建てられた。
濠に囲まれた巨大な城の最初はBibersteinという名前ではなかった。
1335年に城と町をハブスブルク家はキリングラウの聖ヨハネ騎士団に売却した。1499年のシュバーベン戦争での勝利でベルン軍が占拠した。
1527年ベルン都市国家の命令でこの城に住んでいた町を治める廷吏であり、城主のHerrschaft Bibersteinは城主と廷吏の役割どちらかを選ばなければならなかった。(ベルンの貴族でさえ特例はなく重複した役割は認められなかった)そのため代表でもあったHerrschaft Bibersteinの所属した聖ヨハネ騎士団はこの城をベルン都市国家に売り渡さなければならなくなった。(8年後)1587年にこの城は火事で焼失、その時ここで働いていた女性たちは逃げ遅れて死んでしまった。1670年に焼けた一階の補修をするために上の階から徐々に城の模様が復元されていった。1784年再び火事。その時に城をアーラウ州は焼けた屋根の補修と損害額を迅速に割り出し施工した。
1804年に城はアーラウ州が管理するようになると、城は一時住民のためのアパートとなった。その後、1835年にハインリッヒ・チョッケによる地域の学校として使われた。1889年には教育支援施設の元祖的なものが創設されてこの城に本部を置いた。
1984年に屋根が燃えた。(補修はしたでしょう)1987年には精神に複雑な問題をもつ人々の職業訓練センターとして「Stiftung Schloss Biberstein」が創設された。


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