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ローマ帝国の時代、ヴァレンティヌス1世が370年頃アーレ川のほとりに三つの砦を築いた。川はここで急に曲がり岩の上に砦を造るには防衛上格好の地だった。ドナウ、ライン、イラー、リムスなどの川の源流にも近く、出土したコインにもその様子が窺えた。しかし、401年から406年ころに砦は放棄されてしまった。
10世紀後半ここにアルザスの貴族がその地位を捨ててこの地に入った。Lanzelinという名の貴族はローマ教皇の命によりこの地に小さな城を建て、1020年には息子のラドボットがハブスブルクの城から3キロほどの所に Wülpelsbergの砦を造った。数10年後その砦と城はハブスブルク家のものとなり、そこからハブスブルクの忠実な家臣としてエフィンガー・フォン・ヴィルデックと名前を変えた。
1397年にハブスブルク家が創設したKloster Königsfeldenがこの城を管理運営し、1415年にはベルン都市国家のアールガウ州が管理した。
1938年にPro Vindonissa und die Aargauische Historische Gesellschaftがこの城を所有した。
今はユースホステル
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