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この城は北東に5㎞離れたノイライニンゲンと同じフランク貴族のライニンゲン家の領土だった。
城は巨大な要塞でエルニッヒ1世とエルニッヒ2世によって1100年から1110年にかけて建てられた。城の平面的な間取りは複雑で3角形の平面が続くといきなり盛り上がった造りになっている。城の西側には昔の遺跡が残っており、城の門には跳ね橋がかけられていた形跡がある。それは山の中に独自に濠を巡らせて城の周りを守っていたのだろう。エルニッヒ2世は南東2㎞の場所にKloster Höningenを造った。
1525年ドイツ農民戦争が起こると城は破壊された。その後クノ2世、ルートヴィッヒ、ヨハン・カジミアのライニンゲン家の者によって城はルネッサンス様式に建て替えられた。それは領地の農民を借り出しての強制労働だった。
1600年に城の堀に水を流すために20基の井戸が岩をくりぬいて掘られた。それは今考えると驚き。岩をくりぬくのにどんな人がどうやってと考えると途方もない尽力だったんだろう。
1690年にフランスルイ14世の軍隊が押し寄せると、城はまたしても破壊されてしまった。またライニンゲン家の者はこの城を放棄した。
19世紀になると近代的な建築のための採石場と化していた。それをバイエルン政府は禁止した。なぜなら1933年までこの城はライニンゲン家(Leiningen-Westerburg-Altleiningen家)の所有権が残っていることからだった。その後、この城は Landkreis Frankenthalが所有することになった。
1962年にここは国定公園となり、1968年には城の東側にユースホステルが建てられ、1998年から2000年にかけて補修された。
1980年から Bund Deutscher Amateurtheaterによる演劇が夏に催され、歴史的な中世騎士物語やモダンなものも演じられる。
またこの城の地下にはドイツコウモリが生息しているために保護され、そこは立ち入り禁止となっている。
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