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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ヴァルブルン城-Wallbrunner Schloss-
Wallbrunner Schloss
Wallbrunner Schloss1


この土地はメロビング朝の時代にメッツの教会が863年に布教活動を最初に行い所有し、1158年にトリアー大司教ヒリン・フォン・トリアーが所有した。またNassau (Lahn)にも部分的な所有権を持たせるようにヴォルムス大聖堂がはたらきかけた。
12世紀末トリアーの大司教ヨハン・フォン・トリアーはPartenheimの土地を貸すことによってヴェルナー・フォン・ボーランデンからの土地を利用した収穫に対する収入を得ることとなった。1733年にこの土地はFreiherren von Wambold家への委譲が行われた。でもトリアー大司教への収入は絶たれることなくフランス革命時まで続けられた。
城は13世紀に建てられ、その後1600年に建物の東側が改装された。また教会に向かっての向正面に3階建ての翼が建てられその端に円塔が建てられた。1689年に大火事に遭い、すぐに改装されると1階の大ホールはオーク材の帯模様の床に漆喰の天井をもっていた。大きな3階建ての城は長方形の中庭を持ち、その延長に後期ゴシック様式の教会がある。
ワルブルン家は神聖ローマ帝国のプファルツを守る騎士だった。Rheinischen Ritterschaft:ライン、ナーヘ、ドナースベルクなどライン=ヘッセン間を守る重要な役割を担った。その間、貴族間との親戚関係も重要視し、ウム市のヴァンボルト家やサウルハイム家などとの姻戚関係を持った。他にGanerbschaften Bechtolsheim, Schornsheim, Mommenheim と Nieder-Saulheim 家とも姻戚関係を持った。そして決定的にその地位を確立したのがSchornsheim家。それによって領地の拡張が行われ、一家は大きくなっていった。
フランス革命時ワルブルン家はウム市のヴァンボルト家を頼って疎開したが。革命の波が収まって故郷に帰ると、城は略奪、放火の被害を免れていた。その時にはトリアー大司教への土地使用料を払わなくてもよくなったということ。
1683年にこの城の領地の一部を授かった。1800年に500エーカーの土地を所有した。1832年にワルブルン家の最後の女主人クリスティアン・エレノア・フォン・ワルブルンが死亡するとワルブルン城の中にあるプロテスタント教会に葬られた。そこには代々のワルブルン家の人物が眠っている。

でも、なぜラインの城は悉くフランス革命軍に焼き打ちや略奪などをされていたのに、この城だけ助かったのか?

ワルブルン女男爵はストラスブールの大聖堂の女子修道会に所属してフランス語を話すことができた。またストラスブールで貧困や飢えに苦しむ人々を助けていた。それがフランス革命軍デセール将軍の耳に入り、また彼女の説得によって城を守ることができたという。


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