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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ルートン・ホー-Luton Hoo-
Luton Hoo3
Luton Hoo1
Luton_Hoo.jpg
Luton Hoo2

イギリスの古い記載にはこの邸宅の名前が出てこないが、この邸宅を住んでいた家族は「de Hoo」と呼び、1455年にホー伯爵トーマスが亡くなるまでの400年間いた。
その後何世紀にも渡り所有者を変えていった。ロザラム、ネイピア、1762年にはフランシス・ハーン(ベッドフォードシャーのMP)が邸宅を所有し、その直後にビュート伯爵ジョン・スチュアート3世が£94700で邸宅を買った。彼は1762年から1年間、この邸宅の修復に懸命だった。
1767年にはビュート伯爵はロバート・アダムに依頼し、壮大な新古典主義の邸を建てる計画をした。しかし、1771年に火災により計画は一時中断。1774年には未完成のままにビュート伯爵一家は邸に住んでいた。
1781年にはサミュエル・ジョンソンが招かれ、この邸宅は完成していたのを見て「素晴らしく利便性のいい家」とほめたたえたほど。またロバート・アダムは庭師にブラウンを起用した。1.2㎞2だった庭を4.9㎞2まで拡大し、リー川をせき止めて24万㎡の湖を造った。
邸宅はやがてビュート伯爵の孫ビュート侯爵ロバート・スマークに受け継がれた。
1843年に邸宅は全焼し、家具なども悉く焼けてしまった。1848年にリバプールの弁護士ジョン・リーが投機目的でこの不動産を手に入れた。その娘婿の在英デンマーク大使のクリスティアン・ド・ファルベが亡くなると、1903年にダイアモンド業界の大物ジュリアス・ウェルナーが不動産を手に入れた。
南アフリカでダイアモンド採掘に成功したウェルナーはリッツホテルのオーナー、チャールズ・ミューと建築家アーサー・デイビスと組んでフランス第2帝政時代の風貌でマンサール様式の屋根をした建物を計画した。内装はベルエポックそのままに、陶器のコレクションはウェルナーの妻レディーラドローのコレクションを置いた。
大理石の壁のダイニングルームにはボーヴェ作のタペストリー「天使の恋」、建物の中央には「ブルーホール」があり、巨大なタペストリーとルイ15世様式の家具やセーブルの陶器が置かれた。
ジュリアス・ウェルナーの息子ハロルド・アウグストゥス・ウェルナーはロシアの亡命貴族アナスタシア・ド・トルビと結婚。その影響でここにはロシアからの宝がピーター・カール・ファベルジュの力で並べられた。でもそのお宝も1990年に盗まれてしまった。
1977年に邸はニコラス・ハロルド・フィリップスの手に受け継がれたが、1991年に彼が亡くなると邸は売りに出され、トライバルギャザリングダンススクールに貸し出された。
2007年にはホテルとして開業しています。


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