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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ラ・モット・グラン城-Château de la Motte-Glain-
Château de la Motte-Glain1
Château de la Motte-Glain2
Château de la Motte-Glain3
Château de la Motte-Glain4


この城塞はラ・シャペル・グランの街に有り、サン・フローレントの修道士が、この地にキリスト教を布教したことから教区が置かれ、その教区の領地をローマ教会から拝領する形で、アンスニ男爵としてラ・モット・グラン(=後のルージュ家)が最初に城を建てた。1418年にルージュ家には娘しかおらず、娘のマルグリット・ド・ルージュとジャン・ド・ペンホーが結婚。その娘のフランソワーズ・ド・ペンホーとピエール・ド・ローアン・ジーが1476年に結婚。1495年に城をピエール・ド・ローアン・ジーが今の姿に建て替えた。
1497年までアンヌ・ド・ブルターニュとシャルル八世の夫婦が、また1565年にはカトリーヌ・ド・メディチとシャルル9世がここに滞在した。1635年にはブルターニュ州議会議長のミッシェル・ル・ルーがこの城を購入した。
その後は聖職者のための学校になったようで……。
入口の二つの塔は昔はワイン貯蔵庫として使われていたけれどもそんな使い方をしてたからずいぶん破損していた。しかし塔の窓はルネッサンス様式の彫刻で象られ、隣接する邸宅はアフリカの動物たちの剥製や水鳥の剥製が沢山ある。部屋の家具は17と18世紀の調和のとれた風情。 礼拝堂は聖バーバラに捧げた祭壇があり、中庭の北端にある。フレスコ画は16世紀に描かれたもの。1929年にフランスの歴史的建造物(国宝)になった。


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ヒートンホール・アンド・パーク-Heaton Hall & Park-
Heaton Hall
Heaton Hall
Heaton Hall
Heaton Hall
Heaton Hall


ヒートンホールは中世にオランダの一家が所有していた。
1684年にウィルトン男爵がエリザベス・ホランドと結婚し、この土地と屋敷はイギリス貴族のイーガートン家のものとなった。1772年に第7代ウィルトン男爵(後に伯爵になる)がジェームズ・ワイアットに設計を依頼して、モダンでファッショナブルな建物を計画した。当時ジェームズ・ワイアットは26歳の駆け出しの設計師だったが、その手腕は知る人ぞ知るもので、この建物を完成させた1789年には当時のイギリスを代表する建築設計師となっていた。ネオクラシックな建物は評判が良かった。
庭園はランスロット・ブラウンのスタイルを踏襲したものをウィリアム・エムズによってレイアウトされた。1ヒートンパークレースと名付けられた市民も参加可能なボートレースのための庭の設計。それは第2代ウィルトン伯爵の念願だった。そのレースは1839年までこの庭園の湖で行われていたが、その後は開催場所をリバープールへと変更した。
当時にこの大事業を計画したものの、ウィルトン家は鉄道会社で財を成して行ったが、これほどの広大な計画代金を払うのに持っているお金が足りなかった。ということでマンチェスターと言えば18世紀に毛織物で世界にそのものを売って財を成した都市。これだけの不動産を買い入れることとなり、市議会に議案がかけられると屋敷は博物館に、庭園は市民公園にと変換されていった。家財や絵画などはオークションに掛けられ、サロンなどの部屋は市民たちのお茶会の場所として開放された。
けれども時間がたつにつれその家具や絵画の価値も市場に出回るよりも文化的価値が見出されると買い戻されていった。オリジナルの建物に近い状態で保存をし、アートギャラリーとしての風格を取り戻しつつあった。そして建物の経年劣化は宝くじの販売などにより資金を補てんされていった。
一方庭園は市民公園として開放された傍ら、広大な庭園はゴルフコースがあったり、庭園を周遊するためにレールが敷かれトラムが巡るようになった。
その庭園には丘の上のテンプル、だわーハウス、鍛冶ロッヂ、グランドロッヂ、ウェスターンプレジャーグラウンド、オランジュリー、湖、コロナードなどがある。


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エクストンホール-Exton Hall-
Exton Hall
Exton Hall


マンチェスターの東南東に位置するシェフィールド近くの小さな州のエクストンにあるカムデン子爵のお住まい。1511年生まれのサー・ジェームス・ハリントンの家族の住まいが発祥で、後のゲーンズボロー伯爵のノエル一家の住まいとしておよそ400年その地位のものの住まいだった。
1810年に屋敷は火事で焼失し、後に新しく屋敷を建てた。また1869年には聖トーマスカンタベリーにささげたローマ・カトリック教会がCharles Alban Bucklerによる設計で建てられた。
邸宅は現ノエル家当主、カムデン子爵ヘンリーがしばしば滞在する。
またこの屋敷のホールにはイギリスの大邸宅に見られる「Legend of the Mistletoe Bough」が存在する。それは幽霊関係の話で新しく花嫁を娶ることになると、先祖の幽霊たちは悪戯まがいに花嫁とかくれんぼをゲーム感覚で楽しみ、花嫁が結婚式の朝の朝食をとる前までに屋根裏部屋へとおびき寄せて閉じ込めてしまうという伝説。運が良ければ友達や家族によって発見されるけれども、見付けられなかったら……。
また庭園には人口の湖が造られ、そこには1788年に造られたゴシック様式のプレジャーハウス「Fort Henry」がある。
で、1948年に第5代ゲーンズボロ伯爵がアメリカの鉄鋼会社に庭園の一部を採石場として貸していた。(カーネギーに?)そこの跡地には鉄鉱石公園や1974年まで採掘をしていたために敷かれた鉄道には列車を走らせて(庭の中で)いるらしい。やっぱり鉄道博物館もある。
イギリス貴族はスケールが違う!!


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ベルボワ城-Belvoir castle-
belvoircastle
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ノルマン様式のこの城はラトランド公爵家がお住まいになっているRedmile , Woolsthorpe , Knipton , Harston , Harlaxton , Croxton Kerrial, Bottesford の村々と Grantham街に跨る壮大な庭園を擁するお城です。
1642-1651年にかけてのEnglish Civil Warでの王の陣営として使われた。やがてその戦争の功績によりラトランド家が領地を授かったけれども、戦乱による火災で城が焼けてしまうと、第5代の公爵夫人が城をゴシック様式に建て替えさせた。
ウィンザー城を真似たような城ではあるけれども、ジェームズ・ワイアット監修のもとノルマン様式の建物となった。
1840年、ベッドフォード公爵夫人のアンナ・マリア・ラッセルがこの城を訪れている。当時の食事の形態は朝食と夕食の間に昼食などがあったが、それはとても簡素なもので主にサンドイッチなどだった。長い午後の時を過ごすのに(夕食はだいたい20:30ごろ)昼食会を終えたご婦人たちには空腹が耐えられなかった。そんな折にラトランド公爵夫人はベッドフォード公爵夫人のためにケーキとダージリンで午後のおやつを出した。これが所謂イギリス式アフターヌーンティーと呼ばれるようになり、好評を博した午後の茶会はイギリスの中産もしくは上流階級で流行るようになったのです。
またここにはエリザベス女王のためのThe Queen's Royal Lancers Regimental Museum が置かれ、第17回と第21回に槍での騎馬大会が催された。
ところでこの城の本当の名前は「ビーバー城」ベルボワとはフランス読みなのでイギリスノルマン風にこう発音するらしい。


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ラ・ブルテッシュ城-Château de la Bretesche-
Château de la Bretesche
Château de la Bretesche


中世からある城で14世紀に再建され、19世紀にミシラックの街の一部となった。
ラ・ブレテッシュ将軍:1498年に城はギヨーム・ド・マルブレによって再建された。その名前はラテンに由来し、城を正面の見張りの塔の形の特徴からきている。
その後、城はラ・ロッシュ・ベルナールの街を守る前哨基地となった。
16世紀中期には宗教戦争でメルクール公爵がこの城を包囲。フランス革命では城は略奪に遭い、やがて破壊されていった。1926年になるとジャック・ペロンによって再建された。
1943年に城はフランスの歴史的建造物に指定され、1943年には不動産会社に売却された。一時的に城はアパートとして貸し出されたが、やがてホテル・レストランを主体とし、ゴルフコースやハイキングなどができる庭園へと変化していった。ホテルレストランは付属の施設でドメーヌ・ド・ラ・ブレテッシュ。それは高級ホテルでゴルフコースは18ホールを有し、200ヘクタールの公園、ミシュランのエトワールの階級を持つスパがある。Bessé Signature社の経営。


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