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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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カストロヴィーチェ城-Zámek Častolovice-
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice
Zámek Častolovice


カストロヴィーチェの城は13世紀に領地として土地の名前に名を挙げる家族によって所有された。16世紀には彼らの領地は2倍の面積になった。しかし、その後所有者は何人も変わり、ぺルンステインのスカンテッヘ家が所有したがその後に神聖ローマ帝国の貴族オッぺルドルフ家の手に渡り、城はルネッサンス様式の堂々たる城となった。
1694年にボヘミア王国最高の辺境伯のアドルフ・ウラティスラフ・フォン・ステルンベルクがこの城を買い、その後11代に渡ってステルンベルク家がこの城を所有した。
ステルンベルク家はオモロウツにおけるタルタル族の侵攻を阻止し、その後はハンガリーでもクンマス族との戦いにも勝利し、モラビア王国の中に広大な領地を持った大貴族として君臨していた貴族だった。
19世紀になると当主のフランツ・ヨゼフ・フォン・ステルンベルクはこの城に家系の博物館を創設。その息子のカスパー・マリアは地質学者・植物学者として、そのコレクションを披露した。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて城はネオゴシックとネオルネッサンス様式の城に生まれ変わった。
ステルンベルク家の者たちは第2次大戦が起ってもこの地に留まっていたが、第2次大戦後の社会主義体制の国家になるとチェコを離れ、アメリカに移住した。
しかし、彼らはアメリカでの成功の中で過ごしながら(インテリアデザイナーとして成功したダイアナ・スタンバーグ)、1992年にやっとのこと自分たちの故郷に帰ることが出来た。今ではアメリカで亡くなった両親の面影をそこに投影しながら、この城にたくさんの人々が来館することを心待ちにしている。



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テュスリング城-Schloss Tüßling-
Schloss Tüßling
Schloss Tüßling



ヨハン・ビート・フォン・テリンクが1581年から1583年にかけて建てた城。中庭を囲むように建てられた城の四方には八角形の玉ねぎ型の屋根を持つ塔が配されたルネッサンス様式の建物。最初は堀に囲まれた水城だったが、1712年に火災によって焼失すると外観はそのままにバロック様式の内装が施された。
しかしその反面中庭に面するところは典型的なゴシック様式になっていて、トスカーナの様式が用いられたいくつにもアーチ型の梁と柱の形のアーケードが特徴的。このスタイルの城はアルプスに近い地域によく見られる。


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ザンクトアンドレスの城-St. Andrésches Schlösschen-
St. Andrésches Schlösschen
St. Andrésches Schlösschen





ジーゲルスバッハ城-Schloss Siegelsbach-
Schloss Siegelsbach
Schloss Siegelsbach


ジーゲルスバッハ城はハイルブロン地方北部に位置する。ヒルシュホルン家が最初にこの城を建て、その家系をバックボーンに持つヴィザー伯爵が18世紀に拡張。その後何人かに所有権が渡り、1841年にブルワリーたレストランとして使われるも短い機関で終了し、やがてバーデン大公のものになった。
1862年からプロテスタント教会のものになり、1960年から牧師館として使用されている。


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シュヴァイゲルン城-Schloss Schwaigern-
Schloss Schwaigern
Schloss Schwaigern


この城はシュヴァイゲルンの町の教会の北東に建てられた城。1690年から1702年にかけて町の防衛を受け持った将軍エーベルハルト・フリードリッヒ・フォン・ナイペルクが昔あった城を壊してバロック様式に造った。
1935年城を拡張するためにゲオルク・ゴットロプ・バルトが設計した。西の棟は1850年に建てられ、南棟は1860年から1871年にかけてルネッサンス様式に改築。城の教会はクリスティアン・フリードリッヒ・フォン・ラインズが城の設計施工に携わった。1856年から1898年及び1919年にもタインハルト・フォン・ナイペルクが城を再改装された。
城は2階建ての建物で狭い町中に隣接する庭園はなかなかの見もの。庭園は城の設計する際に考えられ、南棟と北棟の礼拝堂との間の正面庭園は東西に貫かれた道路に面している。一度は中庭に面した道路は変更されるたびに通行止めになったりした。南東部分の庭はアーケードに面している。また西半分は建物と庭園がうまく調和している。北西部分は非公開、庭園の北東には畑が広がっている。
城の中は歴史的な宝物が展示してあり、その中でも貴重な家具のコレクションは凄いらしい。


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