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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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プレステネック城-Schloss Presteneck-
Schloss Presteneck
Schloss Presteneck
城は1335年にプレステネック家からマインツの大司教のヴァインベルク家に売却され、そのほかの領地は帝国貴族のベルリヒンゲン家が所有した。1549年にエーベルハルト・フォン・ゲミンゲンがホーネック・フォン・ホルンブルクから借り、1580年にはエーベルハルトと息子のハンス・ヴァルターが城を新しくした。1831年になるとゲミンゲン・ズ・プレステネックの家系は途絶え、城は荒廃していった。そこで貸し手だった(250年も貸してたんかいな!!というよりも貸し手側が昔々のことだったから忘れ去っていて、文書に残っていたから元の貸し手のところに戻った)ホルンブルク家のものとなり、1976年から1981年にかけて荒廃していた城(というより納屋の集合体のような)を昔々の形に改装し、水を湛えた堀で四方を囲んだ。もちろん城を改装するに当たり商業的な目的ははっきりしている。



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エドハイム城-Schloss Oedheim-
Schloss Oedheim



1202年に最初の城がワインベルク家がこの城を建てた。遡ること60年前シュバーベンでの戦いの勝利により教皇から領地を授かった。
エドハイムはオーリンゲン、ノイエンスタット、グンデルスハイムのドナウ川流域地域の主要な交易都市となり、戦略上とても重要な場所だった。1765年までその交易により経済的に潤い、また神聖ローマ帝国内での重要ポストを任されていたためにこの地は保護されていた。
1335年にマインツの大司教が、また1449年にはプファルツ選帝侯、1467年にマインツのショイアーベルクの騎士団(ドイツ騎士団の仲間)などがここに事務所を置き、その後はドイツ騎士団の領地にもかかわらすヴュルテンベルク公爵が管理する宮殿となった。
ドイツ農民戦争の時にこの城はドイツ騎士団によって護られていたが、1554年の戦争の際にアルベール2世・フォン・ブランデンブルク・クルムバッハの軍勢に一部の建物が破壊された。しかし、すぐに城は再建され堀に囲まれたところは瓦礫で埋め尽くされ、再建後は17の部屋を有し、2つの納屋と台所などが造られた。
1700年になるとここに各地で迫害されていたユダヤ人が住むようになった。彼らは経済的に裕福なためにヴュルテンベルク公爵は彼らを保護した様子。1864年になるとここに76人のユダヤ人が住んでいた。
やがてそこにはシナゴーグなどがあった。1864年に新しい建物を建てて何ごとも無く平和に暮らしていたが、1939年に自体は一変する。
ユダヤ人たちはアウシュビッツに連れて行かれた。
1967年になるとディートリッヒ・カプラー・フォン・エドハイム・ゲナント・バウツとゲミンゲンの貴族によってこの城を買って事業を試みたが失敗。1986年まで城は空き家だった。1995年に民間人が城を買うと、城を建て直し、1997年に城はイベント用の建物として結婚式などに貸し付けるようになった。


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オーベルギンペルン城-Schloss Obergimpern-
Schloss Obergimpern
Schloss Obergimpern



この城は13世紀から14世紀にかけてクレブスバッハの谷に水城として造られた。城は壁と堀で出来ていた木造の建物だった。城に続く農場は南東の丘に在ったらしい。1685年この城は元の家系の男性が亡くなったためにヘルムスタットを治める家系がこの城を継承した。
それはオーベルギンペルンとヘルムスタットが戦争をしていて負けたから。そして帝国の領地となったこの城はプファルツのイルシュ家がこの城をヘルムスタットの後にこの城に住んだ。この家系はチロルの大司教でバイエルンにも領地を持っていた。1709年にイルシュ家は住んでいた南チロルの様式の城に建て替えた。
1740年に書かれた資料によると2階建ての厩舎やアーチ型の天井の倉庫が農場にあり、城も3階建ての建物だった。カール・ヨハン・フォン・イルシュ男爵はマンハイムに住んでいたが息子たちへの財産分与にベルンハルトがこの土地を貰った。彼はオイレンブルクやヨハネボンクの首長の知事を務めながら継承した。1764年には城に隣接する教会を再建し、城は大きな寄せ棟屋根の建物になった。しかし、バイエルン・プファルツにおける住居として活用された城もやがて崩壊してしまい、1779年にベルンハルトはヨハネボンクに移ってしまった。
1862年イルシュ・ピエンツェナウ家のカール・アウグスト・ジクムントはベルンハルトの孫でこの城を軍隊から退いた自分にとっての老後を穏やかに過ごす住まいとし、古典主義スタイルの城に改装した。計画の図面には胸壁や砲台などの軍事的なものは取り除き、それらを城の飾りとして扱った。城はそれから100年後の1960年に再建がされた。
城はひそかな佇まいを見せながら、今尚リュイトガルト・イルシュ家のものである。




フィヒテナウのヴァイルデンステイン城-Schloss Wildenstein (Fichtenau)-
Schloss Wildenstein Fichtenau
Schloss Wildenstein Fichtenau


16世紀に造られた城で、三つの翼を持つ破風の屋根や出窓は17世紀から18世紀にかけて造られた。1662年に家族が住んでいたが19世紀に家系が途絶えたため、城はクレリンゲンのロベルト・フォン・ホーファー伯爵に売られた。彼らはプロテスタントを信仰していたので、オーベルプファルツの自分の城を売ってこの城に移り住んだ。
この城の幽霊の話は尾ひれを付けて語られている。


幽霊の話

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シュロツベルク城-Schloss Schrozberg-
Schloss Schrozberg
Schloss Schrozberg


この城の前身はシュロツブルク城。その城はローテンブルクを治めたホーエンローエ家の攻撃に遭い破壊された。その代わりにフォルバッハの水城があった場所のところに今の城を16世紀に築き上げた。
この城の所有者はシュロツベルク家とホーエンローエ家の所有と度々替わっていた。
城はその後ショルツベルク家から派生したベルリヒンゲン家へと受け継がれ、1701年にはベルリヒンゲン家3代目のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンによって北の中庭にスタイリッシュな庭園を造った。
城は今ではシュロツベルク市の文化ホールとして演劇やコンサートが行われ、古い城の一階には彫刻などの展示がされてある。


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