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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ベーフェルウィート城-Kasteel Beverweerd-
Kasteel Beverweerd
Kasteel Beverweerd
Kasteel Beverweerd


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デ・ハール城-Kasteel De Haar-
Kasteel De Haar
Kasteel De Haar
Kasteel De Haar
Kasteel De Haar

ワールドカップ対戦記念
オランダで一番有名なお城!!

中世期に建てられたのが最初だろうが、はっきりとした記録が残ってないそうで、最古に書かれた記録が1391年にヘンドリック・ファン・ヴィアネンがボケルからの融資で城を所有したことになっている。
城が要塞化されたのはラインの支流ストロームラグ川にそって拡大し、ヨシナ・ファン・ド・ハールがディルク・ファン・ツイレン・ハルメレンと結婚したことで1449年にツイレン家が城を所有した。
1482年のHoekse en Kabeljauwse twistenの戦争で城は破壊され復元された。1672年にはオランダの独立戦争などにより住民が多数死亡し、また1674年には竜巻などの被害があって、ユトレヒトの大聖堂も戦争で壊滅状態になり、城や領地はブルージュの司教のツイレン家が所有するものとうたったが、カソリックの信仰をしていた家系は追いやられることとなった。
1890年エティエンヌ・ファン・ツイレン・ファン・ネフェルト男爵が城を継承した。(随分と長い間イギリスにでも逃れていたんでしょう)
彼はパリで銀行を経営するロートシルド男爵の娘エレーヌ・ド・ロートシルドと結婚、そしてオランダで最大の城の再建を試みるのでした。
1892年からピエール・コイペルスにより再建計画が立ち上がり、それを息子のヨス・コイペルスが引き継いだ。
ゴシックリバイバル様式の外観を保ちながら、屋敷の中は低圧蒸気システムによって電気照明や独自の発電機などを用いて、近代的な快適空間を演出した。
またキッチンは大きなストーブを使い銅のなべを暖めたりした。
2000年までエティエンヌの子供や孫たちが住んでいたが、その後はカスティーヨ・デ・ハール財団によって城を所有。領地などを自然協会に売却して市民のための公園にしたりしたが、ティエリー・ファン・ツイレン・ネフェルト・デ・ハールは毎年9月に城に滞在するために、その間は城は一般公開していない。
オランダの大金持ちの個人所有のお屋敷です。


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トゥレル城-Château des Tourelles-
Château des Tourelles



城は1196年にフィリップ・オーギュストが建てた。
イングランド王のリチャード獅子心王との戦いにより、ノルマンディーのヴェルノンを奪回し、都市の軍事基地として建てられたものの一部(?)
オールドミル…つまり昔々の粉引き小屋か穀物倉庫みたいな形をしている。昔の城砦の一部が残った感じのおうですが、アーキテクチャーではないので解らないということです。

ちなみにGoogleでChâteau des Tourellesを検索するとカナダのケベック州にあるホテルが最初に見つかります。




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ティリー城-Château de Tilly-
Château de Tilly
Château de Tilly
Château de Tilly
Château de Tilly
Château de Tilly


1530年から1535年にノルマンディー議会議長のクロード・ル・ルーによって建てられた。
1932年仏蘭西の歴史的建造物に登録される。
ティリーという名の付く城はもうひとつシャンパーニュ・アルデンヌにラモットティリーというところがある。



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サンジュスト城-Château de Saint-Just-
Château de Saint-Just


サン・ジュストなんていう名前だからすっかりフランス革命の「死の大天使」なんて云われたロベスピエールの片腕のルイ・アントワーヌ・レオン・フロレル・ド・サンジュストの生まれ故郷かと思ってしまいました。

えっと…

城は13世紀に建てられたものを16世紀の終わりにジャック・ド・クロワマルが増築した。
1608年に城の新装は終了し、サンジュストの村に城の母屋のほかに温室・庭園・植物園が追加され、楡の並木道の端に礼拝堂に農場、ワインを造る工場なども造られた。
1654年にクロワマレの最後の当主のジャン・ド・サヴァリーは王のノルマンディーの水と森林の管理長官に命ぜられた。そして城の付近を水をひいた壮大なフランス式庭園をする計画をし、18世紀の半ばには出来上がる計画だった。
1775年に城はブルターニュ公爵に売却された。
ブルターニュ公妃はビジーの城を持っていたが、それは住まいとして持っていて、行く末は子供に家督を継がせるために譲り渡すつもりだった。しかし、引退した時のために彼女はサンジュスト城を買った。老後の病気療養のための、また農場から得られるものを楽しみにしていたことだろう。ブルターニュ
公爵夫人はこの城で1993年に亡くなっている。
1795年まで国の管轄下に置かれ、その後にセバシティアン・ジル・ユエ・ド・ゲルヴィルが1798年まで城を所有した。
1805年までヴィクトール・ファノー・ド・オリエが所有し、その後アルブフェラ公爵のルイ・ガブリエル・スーシェ、ノルマンディー方面の司令官の手に渡った。そして17世紀に造られた楡の並木道にポプラを植え替えた。
1825年にはベルギーの庭師を採用して、イギリス式の庭園に一部再設計させた。
1826年に将軍の死に伴い。夫人が礼拝堂を含む庭園付きの土地を売却した。
1885年以来この城は艦隊の様に建物を配置していった。また1905年には飛行機の離着陸する場所を確保し、そこから旅立った飛行機によって城の敷地内の様子を空撮した。
しかし、今はイギリスの観光業者が運営し、その資金は投資グループによって維持されている。(JPモルガン?ロイド?)


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