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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ビュルゲルン城-Schloss Bürgeln-
Schloss Bürgeln
Schloss Bürgeln
Schloss Bürgeln

1120年ヴェルナール・フォン・カルテンバッハの兄がコンスタンツのザンクトブラシエン修道院のヘルハルト3世のところへへ逃亡した際に影響を受けて建てた修道院。
やがて修道院はオーストリアの領地の西側を占め、ここにダルラッハ家が治める領邦が置かれた。
そして宗教改革。それにより修道院は解散。その後には宗教学校が建てられたがプファルツ継承戦争によって土地は荒廃していった。
1762年にフランツ・アントン・バグナトがここに建っていた建物を取り壊し、新しく新古典主義の城が建てられた。その中の北側に礼拝堂を配置した。
マルティン・ゲルハルト・フォン・ザンクトブラシエンは1782年のオーストリアとの戦いに皇帝ヨーゼフ2世と戦った鉱石により、この地を世俗的に継承することを許された。
フローデン・フォン・リヴィネルはオーストリアとフランス戦争でこの地をフランスの占領下に置かれたとき、ドイツ帝国の中でこの地に平和をもたらさなければならないと持ちかけ、マルタの騎士団によって国は護られることを取り付けたが、ハプスブルク家はそれを受け入れなかった。しかし、この後ライン同盟ができると、この地はバーデン公国に組入れられた。
今では城はイベントなどに貸し出されている。


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バウシュロット城-Schloss Bauschlott-
Schloss Bauschlott

バーデン地方に属するノイリンガーにある城。
1540年騎士のエグロフ・フォン・ヴァルステインが四方に塔を配した城として建てられた。
さまざまな所有者の手に渡りながら、1726年にしバーデン辺境伯のダルラッハ家の所有となった。
1806年にはバーデン辺境伯の領地はバーデン公国となり最初の大公カール・フリードリッヒ・フォン・バーデンはホフバウマイスターのフリードリッヒ・ヴァインブレナーに依頼して、ネオクラシック様式の新しい宮殿を建てた。その宮殿は昔からあるカヴァリエハウス(騎士の家1764年に建設)と繋げた。
1961年にシュツットガルトの医師ステファン・サンドキューラーに売られた。
ホテルでしたが2008年9月を以って閉館したのか?




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ハイデルベルク城-Heidelberger Schloss-
Heidelberger Schloss
Heidelberger Schloss
Heidelberger Schloss
Heidelberger Schloss
Heidelberger Schloss

ハイデルベルク城

ドイツで一番有名なお城なのかも。
バーデン・ヴュルテンベルク州にありながら、ここが昔プファルツ選帝侯の居城だったとは知りませんでした。
しかしフランス軍は16世紀~18世紀初頭にかけてドイツに攻撃しまくりだったんだ。
そのお返しにプロイセンがパリを占拠したりナチスがフランスを占領したりもしたんだ。仲直りできたのもEU加盟した最近だったから、遺恨は何百年も在り続ける。
としたら、日本と韓国・中国の関係改善はあと2~300年は掛かるんだろうか?


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デュフリンゲン城-Schloss Deufringen-
Schloss Deufringen

ゲルトリンゲン城ともいうらしいアイドリンゲン地区にある城。
14世紀以前に所有者が存在したらしいが定かではない。
1592年にショーンドルフ地域を治める代官のヤコブ・フォン・グルトリンゲン・フォン・ハインリッヒ・シックハルトによって建てられた城。この家系が所有したのは1402年から1699年のこと。
1699年にヨハン・コンラート・フォン・ゲルトリンゲンはヴュルテンベルク家の祖先ぼためにどうしたのでしょう?
1726年に元老院のシュルツ家に与えられ、1746年には牧師のための館となった。
1976年にはバーデンビュルテンベルク州のものになり、1977年には市のシティーホールとして使われるようになった。

逸話として幽霊が出るらしい。
1600年10月にヤーコブ・フォン・ゲルトリンゲンが友人のコンラート・フォン・デゲンフェルトに殺された。それはどうもビュルテンベルク公爵フリードリッヒ1世の指示によるものらしい。
1600年当時は宗教がらみのいざこざから暗殺が絶えなかったから・・・。
何時の時代も世界は宗教がらみで戦争しているみたい。無宗教の日本人から見たら考えられない世界だわさ。


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ルートヴィヒスブルク宮殿-Residenzschloss Ludwigsburg-
Residenzschloss Ludwigsburg
Residenzschloss Ludwigsburg
Residenzschloss Ludwigsburg
Residenzschloss Ludwigsburg
Residenzschloss Ludwigsburg
Residenzschloss Ludwigsburg

1704年から1733年にかけてエベルハルト・ルートヴィヒ・フォン・ヴュルテンベルクが建築家のフィリップ・ヨゼフ・イェニッシュに依頼して建てさせたドイツ最大級のバロック様式の宮殿のひとつ。
この宮殿の前にはエルラッハホフという湖水に面した狩猟の館があったが、フランスのプファルツ継承戦争の関与により城は焼かれてしまった。
18世紀初頭、そこに狩猟の館を再建しようと言うことになったが、それをエベルハルトは広大な土地と資金により、ヴェルサイユ宮殿にも匹敵する宮殿を建てようと計画。やがて宮殿の名前はエベルハルトのセカンドネームのルートヴィッヒの名前をとって、ルートヴィヒスブルクと命名された。
1706年当時は母屋に二つの翼を出したシンプルな設計だったが、そこに続く狩猟のギャラリーやゲームをする(ビリヤードとか)の部屋を増築していくとだんだんと宮殿は大きくなっていった。
1709年にまだ宮殿は工事途中だったが、エベルハルトはこの宮殿に住居を構えるべく、シュツットガルトより移転。増築されていく宮殿を見ながらの毎日だったのだろう。
しかし、拡大を続ける宮殿「Neue Corps de Logis」もエベルハルトが1733年に亡くなると工事は中断させられた。
宮殿の中はドイツにおける17世紀のイタリア人画家の絵画が150ほどある。
1758年にできたルートヴィヒスブルク劇場では毎年シュツットガルトのオペラ劇場からニューフェスティバルオペラが上演される。


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