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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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Author:zamekzamek
貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ハウス・フェナウエン-Haus Venauen-
Haus Venauen

1555年にペーター・フォン・ブリンクヒュゼンがフィナウェン(フェナウエン)の近くに城を建てたことからこの名が付いた。Finawenは湿原を意味する。
チュルツ川から150メートル離れた場所にそれは建っている。
1737年にヨハン・フォン・フレイヘル・フランケンが新しい城を建て、その頃近くにあるオイレンブロイヒ(レースラート)城も大改装していた。
1938年から1945年まではナチス党の国家社会主義福祉協議会が置かれ、その後、1950年にベルギーの国の領土になった時、ここにアテネーロワイヤル寄宿学校が開港し、その後者として使われた。そのとき男子の宿舎はこの城で、女子の寄宿舎はレースラート城に置かれた。
1963年、フラマンたちは古くから使われていたワロン語の復活を望んでいた。とくにフランドル出身者(フラマン)には独立した言葉は、それ自体が文化として人々の中に受け継がれている。Bensberger Schloss にフランドル出身者の学校を集約して、そこでワロン語を教えた???
2003年にはベルギッシュ地区の特別養護老人ホームが置かれ、古い映画館や劇場の様相をしたノスタルジックな施設が付け加えられ、2004年にはマーティン・ルーサーキングスクール(特殊学校)になった。
…………のかどうか。



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ファレンホルツ城-Schloss Varenholz-
Schloss Varenholz
Schloss Varenholz


1188年にフォルンホルツ家が領地を取得。
1323年シモンⅠ・ズ・リッペがヴェーザー川沿いに領地を広げて、フォルツホルンの城を手に入れた。
今の城は1540年ごろ建てられた。ヴェーザー川地域のルネッサンス様式としてはとても有名な城。1590年ごろシモンⅣ・ズ・リッペは帝国から伯爵の称号を授かった。
時代は飛んでナチ政権下ではドイツの女性の国民社会主義の訓練所として使われた。
1945年から1949年までUFA映画会社が事務所を置き、その後、エリザベート・エンゲルスによる寄宿学校が置かれた。
今はリッペ財団による私立寄宿学校として使われている。


official








チュルニッヒ城-Schloss Türnich-
Schloss Türnich
Schloss Türnich
Schloss Türnich
Schloss Türnich
Schloss Türnich

ラインエルフルト地区ケンペンの町の端に位置するチュルニッヒにある今なおゴダルト・フォン・ホーエンブロイヒが所有する城。
898年からこの地は他の貴族の領地となっていた。
今の城は18世紀にカール・ルートヴィッヒ・フォン・ロルスハウゼンによってロココ様式の城に建て替えられた。デザインはケルン選帝侯お抱えのミカエル・レファイリーによるもの。
この城はドイツでも指折りの美しさを誇る夏の離宮として称えられ、ケルン大司教のクレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンがフランシワ・キュヴィエに建てさせたブリュールのファルケンルストやデュッセルドルフのペンペルフォルトの狩猟城館とも比較されるほどだった。
1895年には邸宅と城の礼拝堂を北東側から東側へと身廊を移し、ハインリッヒ・クリングスがエリザベート・フォン・チューリンゲンの礼拝堂へと変化させた。壁は大理石で覆いロマネスクの様式の絵画が溢れていた。ナザレのフランツ・ギレリーやエドゥアルト・ゲブハルト、エルンスト・デゲルの絵画が飾られた。礼拝堂は1991年に火災に遭ったが主にこういった絵画が修復され、黄金に彩られた6つの水晶の祭壇は復元されていない。
プロイセンラインラントの枢密院議員だったFranz von Hoensbroech が1850年にこの城を買うとGMbHなる会社により、GBR・Teneeに管理されている。
Torhausはカフェとして営業している。

ここでお勉強;ホーエンブロイヒ家はラインラントの騎士として最初はHoen」と名乗り、ニコラウス・フォン・ホーエンはベスヴェイラーの戦いでの功績によってマーストリヒトの市長に1371年に就任。
14世紀後半ヨハンナファン・ブラバントなんかとヘールレンで結婚して、リンブルクの財政を預かる役職にまでなり、ホーエンブロークと名乗った。やがてハーグ城やホーエンブローク城などを所有し、神聖ローマ帝国なのかプロイセンラインラントのなのかは定かではないけど元帥にまで上り詰め、リンブルク家やベルク家と結婚を重ねドイツ帝国の男爵階級を取得した。
今ではこの城と前述のハーグ城(国際裁判所のある城とは違います。あれはオランダのもの)ケレンベルク城などを所有して、その賃貸料でお暮らしになっている悠々自適な貴族家系。
(ここで物申す!そういった世界の事情を知らないヨーロッパお貴族様は今になって他の国にああしろこうしろとお金をちらつかせて、保護団体を誘導するからた太刀が悪い。世界恐慌もあなたたちの剰余金から派生したマネーゲームの所為でしょうが!!)


official
ホーエンブロイヒグループ







スティラム城-Schloss Styrum-
Schloss Styrum
Schloss Styrum
Schloss Styrum

ミュールハイム・アン・デル・ルール市のスティラムn町にある城。
アルテナ伯爵の領地で、ディートリッヒ・フォン・アルテナ・イセンブルクとその息子フリードリッヒ・フォン・イセンブルクと受け継がれ、1289年にエーベルハルトⅠ・フォン・イセンブルクが城を建てようとした。
しかし、1288年のヴァリンゲンの戦いで、レニーの町に本拠地を持つリンブルク(スティラムの本家)が攻めてくるのを知り、イセンブルクは逃げていった。それ以後この城はリンブルク家の傍系のものとなった。
1395年までに城は建てられ(オーベルホフのみ)、1442年には時の神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世からヴィルヘルムⅠ・フォン・リンフルフ・スティラムが選帝侯として帝国議会にでる権利を授かった。それは19世紀まで続いた。
またイルムガルト・フォン・ヴィッシュとボルクロ家、ブロンクホルスト家とが結婚することによって、リンブルク家の本家はオランダのヘルターラント州の一部をも領地とすることができて良かったんだけど、1644年にリンブルク家は3つの家系に分かれることとなった。
そのひとつがリンブルク・スティラム家。ヘルマン・オットーⅠ・フォン・リンブルク・スティラムが亡くなると、城は未亡人のアンナ・マグダレーナのものになった。そこで城を拡張子、最後の再構築者は1658年にモリッツ・フォン・リンブルク・スティラムが行った。
邸宅は根本的に近代的な階段の塔を備えて改装された。.東と西に翼廊が追加され、守衛詰所が造られると次の年に礼拝堂が造られたと思われる。
18世紀になるとバロック式庭園が造営された。
1808年にライン連邦によりスティラムの領地は城のみを残して国に没収され、城はエルンスト・マリア・フォン・リンブルク・スティラムのものとなった。がいろいろあって、1861年にヨハン・シェーネンベックに城は買われた。古い城の壁にはリンブルク・スティラム家代々の肖像画が掲げられてあった。
1890年にはルール工場主のアウグスト・ティっセンがこの城を買うと、ことごとく改築し、昔からあった老朽化した城の状態から新しくした。また礼拝堂は壊され駐車場になった。
また庭園も公園のような自由な空間にした。
1958年に城はミュールハイム市に寄贈され、1998年には城の一部が水族館となった。

site
アルテナ(ウェストファーレン)家系(リンブルク)ドイツ語版wikiで







シュトラウヴァイラー城-Schloss Strauweiler-
Schloss Strauweiler
Schloss Strauweiler

ライニッシェ・ベルギッシェ地方のオデンタル地区のDhünn川沿いにある城。
城の名前にもあるシュトラウヴァイラー家は13世紀に居た貴族。
今のこの城は Familie Hubertus Prinz zu Sayn-Wittgenstein-Berleburg家の所有。
Sayn-Wittgensteinはヘッセン州の貴族。Bad Laaspheに領地を保有していた。
Berleburgはウェストファーレンの南部に位置するジーゲン地区のBerleburg町を領地としていた家系。
16世紀に結婚によって領地は大きく変わった。

GeorgⅤ(1565-1631)1607-1631に帝国から伯爵(グラフシャフト)の称号を貰う
Ludwig Casimir (1598-1643, ruled 1631–1643)
Georg Wilhelm (1636-1684, ruled 1643–1684)
Ludwig Franz (1660-1694, ruled 1684–1694)
Casimir (1687-1741, ruled 1694–1741)
Ludwig Ferdinand (1712-1773, ruled 1741–1773)
Christian Heinrich (1753-1800, ruled as Graf 1773–1792)

Christian Heinrich(1753-1800、 この世代からFürst (1792-1800選帝侯というか独立国家の王様として統治)
Albrecht I (1777-1851, ruled 1800–1806)
Albrecht II (1834-1904)
Richard (1882-1925)
Gustav Albrecht, 5th Prince of Sayn-Wittgenstein-Berleburg (1907-1944)
Prince Richard of Sayn-Wittgenstein-Berleburg (1934-); the current heir is Gustav, Hereditary Prince of Sayn-Wittgenstein-Berleburg

ドイツの貴族は結構多くwikiに書かれています。ヨーロッパの王侯貴族との親戚関係も入り乱れてます。









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