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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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シャトーゲイ城-Chateau de Chateaugay-
Châteaugay
Châteaugay

1381年ヴィゴーシュ家が建てた城の上に、シャルル6世がピエール・ド・ジアックを使って建てさせた城。中央の建物と2つの塔は50年後の15世紀に追加された建物。ルネッサンス初期の装飾が壁の石に刻まれている。
またこの辺はアリエルとピュイ・ド・ドムの間にあり、周辺の平原を見渡すには恰好の砦だった。
ナポレオンが1809年に土地台帳を確立させると、この周辺はなだらかな丘陵地帯のためワインの産地になる。コート・ドーベルニュ。

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フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(オーヴェルニュ地域)-Chemins de Saint-Jacques-de-Compostelle en France-
église Notre-Dame-du-Port
église Notre-Dame-du-Port
クレルモン=フェラン : ノートルダム=デュ=ポール教会 (église Notre-Dame-du-Port)

1095年11月に上述したように当地でクレルモン教会会議を召集された。1248年にはクレルモンの大聖堂ノートル=ダム=ド=ラサンプシオン(被昇天聖母大聖堂)が着工された。一方1120年にはオーヴェルニュ伯爵が隣接する土地に、南仏の諸都市を模範とする新たな都市モンフェランを創建した。1551年クレルモンはフランス王の直轄地とされ、1610年には王権と不可分であると改めて宣言された。

近世に入って、クレルモンとモンフェランの統合が進められた。1630年4月15日、二つの都市の合併を命じる勅令が発布された。この勅令の内容は、1731年ルイ15世の勅命により再確認された。しかしながらモンフェランはこの統合を歓迎せず、18世紀後半から19世紀前半にかけて、幾度かに渡って、分離の要求がなされた。両都市の完全で対等な統合がなされたのは20世紀に達してからである。今日のクレルモン=フェランは、それぞれに特徴を備えた二つの都心部をもつ都市として存立している。モンフェラン旧市街は中世の街並みをよく残す。クレルモン旧市街のバシリカ聖堂であるノートルダム=デュ=ポール寺院はユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として登録されている(By Wiki)

notre-dam puy-en-valay
ル・ピュイ=アン=ヴレ : 大聖堂サン=ジャック施療院 (Hôtel-Dieu Saint-Jacques)

大聖堂ノートルダム・ドュ・ピュイ(Notre Dame du Puy)とサン=ジャック施療院はユネスコの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として登録されている(ID868-021・022)。この大聖堂は円錐状の死火山の山腹に建造されており、その山頂にはクリミア戦争時の大砲から鋳造した18mのマリア像がある。また10世紀のロマネスク様式の礼拝堂、サン・ミシェル・デグイル(Saint Michel d'Aiguilhe)も人目を引く。これは標高82mの火山岩尖の上に建造されている。 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の開始点の一つとして、また1000年以上の歴史をもつ司教座都市として、ル・ピュイ=アン=ヴレは中世におけるこの地方の文化の中心であった。(By Wiki)







ラ・ロッシュ・エギュペルス城-Chateau la Roche Aigueperse-
CHÂTEAU LA ROCHE AIGUEPERSE

12世紀にモンパンシェ公爵によって建てられた城。
のちに16世紀ブルボン公爵によりミシェル病院として形を変えている。
1880年までド・ラ・シェーズ男爵が所有していた。

site






ラ・バティッセ城-Château de La Bâtisse-
château de La Bâtisse
château de La Bâtisse
château de La Bâtisse

城はオーゾン渓谷の中に位置している。
ここはスペインの聖ヤコブを奉るサン・ティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂への巡礼路の途中の宿場町のシャノナに程近い。
オリジナルの塔は13世紀のもの。クレルモン・フェランを防衛するためにド・ラ・ロッシュ・ブランが建てた。
この要塞は渓谷の中ほどにあるために敵からの攻撃をかわすことができた。
1622年リシュリューの一部のモンパシェ軍はユッソン城を攻略すると、州の南のこの地に到達。城の3つの塔は壊されてしまった。
17世紀の終わりジラール・ド・シャトーヌフはこの城を所有し、この時代の建築士ル・ノートルに頼んでバロック様式の城の再建とテラスガーデンを造った。

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モンモラン城-Château de Montmorin-
Château de Montmorin
Château de Montmorin

モンモラン家発祥の地。
ビヨンの南3キロに位置し、12~13世紀に建てられた要塞。要塞の門には2つの塔を配して、その中に入ると頑丈な壁が行く手を阻む。一旦左に曲がると中庭から住居部分へと入ることができる。現在公開中なのは4つの部屋。13世紀から18世紀の武器や家具を展示した部屋がある。
また城としても大変古いために、発掘調査が行われている。

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