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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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プラニッツ城-Schloss Planitz -
Planitz (Z) - Schlo゚ Planitz 08082003


1712年ヨハン・ゲオルク・フォン・アルニン2世によって、バロックの宮殿が建てられた。
1868年から1872年にかけてイゾルデ・アルニンによって城の庭園が造られた。
1991年からクララ・ヴィーク・ギムナジウムの校舎になり、音楽の専門的教育機関として使われている。
ps:ここで思いつくこと。ドイツはギムナジウムという小・中学校一貫教育にて、専門的な授業を行う私立学校が充実してます。公立ももちろんありますが、マイスター制度が確立している国は、教育の方向性も将来を見据えているから、今の日本みたいに何の目的も無くただ闇雲に一流大学を目指す風潮はいかがなものかと・・・。だから大学にいかれなかったら一生非正規雇用なんていうのは、国内の南北問題になりかねませんぞ。
革命だ~!っ言って一部の独りよがりな子が高級官僚を暗殺するなんてこともありうる。
ご用心ご用心。

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オステルステイン城-Schloss Osterstein-
Schloss Osterstein
Schloss Osterstein
Schloss Osterstein

城の名前がイースターの石の城と訳されるんだから、キリスト教のありがたい土地なんだろうけど。
1292年チェウィッカウの村に城は出来上がった。けれども1403年に火災。1404~1407年にかけてマイセンのヴィルヘルム一世がルネッサンスの城として再建。
しかし、18世紀から第2次世界大戦までこの城は刑務所として利用された。
1962年には刑務所としてではなくビジネス雑誌の編集部が置かれ、1992年以降は城の復興計画が持ち上がり、ただいまゆっくりと修復中。


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ノイトニツ城-Schloss Nöthnitz-
Schloss Noethnitz
Schloss Noethnitz
Schloss Noethnitz

1370年にこの土地を所有したのはノイトニッツ家。1502年になるとザクセン地方神聖ローマ帝国ホフマーシャル地区の大司教はハインリッヒ・フォン・タウブ氏になったため、ローゼニッツ・ノイトニッツ家がこの土地を6500ギルダーで売った。
1630年ルネサンス様式の城を建築。1634年にはノイトニッツはザクセン公の領土になっていた。
1739年クリスティアーネ・フォン・アルニンと結婚したハインリッヒ・フォン・ビュエナウ伯爵は自分のプライベート・ライブラリーとしてこの城を所有した。それが今日のドレスデン大学国立図書館の母体となる。
考古学者のヨハン・ヨアキム・ウィンケルマンはこの城に1748年から1754年に司書として勤務していた。

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スターリング城-Stirling Castle-
Stirling Castle
Stirling Castle
Stirling Castle
Stirling Castle

この城は11世紀に建てられたものです。
ロイヤルチャペルはフランスの影響を色濃く残し、1954年ジェームズ6世は息子のヘンリー洗礼のためにこのチャペルを改装しています。17世紀のフレスコ画は見もの。
また1540年建設されたロイヤルパレスはスコットランドでも有数のルネッサンス様式の建物。3階建ての建物の窓にニッチグロテスクの数字が刻み込まれています。
ここは長年軍事的な所として、軍幹部の宿泊などに使われてきました。
王の間は100以上の樫の木でできたレリーフがあったけれども、戦争でなくなってしまいました。
でも、今はスコットランド政府により復旧作業が執り行われている。古い建物は、1854年のクリミア戦争ではロシアの騎兵隊の攻撃にもひるむことの無かったサザーランド・ハイランダー(別名:シンレッドライン)の博物館になっている。


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リンリスゴウ城-Linlithgow Palace-
Linlithgow Palace
Linlithgow Palace

12世紀までは住居として使っていたのをイングランド王エドワード1世が軍事的な目的のために。エディンバラ城・スターリング城のルート上にとても大切な軍事基地としていた。
1424年に城は火災に遭い、ジェームス1世はスコットランドの特権階級のために壮麗な宮殿を建てた。そして、ここではジェームス2~5世が生まれている。
またスコットランド女王のメアリーが1542年ここで生まれている。そして、彼女は時々ここに宿泊した。


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