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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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レストパーク-Wrest Park-
Wrest Park
Wrest Park1
Wrest Park2
Wrest Park3
Wrest Park4


トーマス・カリューが描いたポエム「To My Friend G.N. from Wrest」(1639年著)に出てくる邸宅は1834年に取り壊された。
新しい邸宅は所有者で英国王立建築家協会の理事のトーマス・ド・グレイ第2代伯爵がデザインした。
彼はパリに出張した際のフランスの建築に魅了され、ジャック・フランソワ・ブロンデルが書いた「Blondel'sArchitecture Française」という本に感化されてのデザインだった。建築に携わったのはリデルシート邸、レベンズわース城などを手掛けたジェームズ・クレファンに、またそのいとこのトム・リデルに依頼した。
その後ニコラウス・ペヴスナー、またチャールズ・リードなどが仲間に加わった。とくにリードはド・グレイが設計した生活インフラに対して装飾的なレイアウトを用いて修正した。
やがてイギリス様式の黎明期ロココリバイバルの邸宅が完成した。
92エーカーの18世紀初頭の庭園はジョージ・ロンドンとヘンリー・ワイズにより設計された。以前からあったランスロット・ブラウンによる庭よりもカジュアルな風景となった。
2007年にイギリスの文化遺産となるとウォルフソン財団により邸宅は管理されるようになった。また庭園は2008年9月イングリッシュヘリテージによって運河や湖を復元された。2010年にはビジターセンターや駐車場、展示スペースなどへのアクセスパスを開発するための基金、100万ポンド宝くじを発行した。公園は2011年8月4日に公開する運びとなった。


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ウォバーンアビー-Woburn Abbey-
Woburn Abbey1
Woburn Abbey3
Woburn Abbey2
Woburn Abbey


ここはシトー会修道院が1145年に設立され、その後1547年にヘンリー8世からジョン・ラッセル、ベッドフォード伯爵がこの土地を受け取った。彼はすぐにベッドフォード公爵になった。
この地は修道院の領地だっただけにとても広い。1744年に第4代ベッドフォード公爵がヘンリー・フリットクロフトとヘンリー・ホランドに依頼して邸宅の建設にかかった。また第7代ベッドフォード公爵の妻アンナ・マリアが今あるイギリスのアフタヌーンティーの習慣を創り上げた。
第2次大戦後第12代公爵が亡くなった1953年、わずかに残っていた修道院の建物は乾燥しながら腐っていったために取り壊された。その後、その第13代公爵は邸宅や不動産、修道院の保存をナショナルトラストに預け(所有権は公爵家にあった)邸宅や土地を一般に公開した。すぐに入場者が殺到すると続いて1970年にサファリパークを開設。
当時、そんなことをする貴族は居ないために、他の貴族から陰口をたたかれた様子。でも彼は「I do not relish the scorn of the peerage, but it is better to be looked down on than overlooked」(貴族の軽蔑は楽しくないけど、見下すよりも見渡す方をお勧めします)と言いました。
1970年に映画の撮影が誘致され「 A Lizard in a Woman's Skin 」「Coronation Street」が撮影された。
1975年第14代ベッドフォード公爵となるはずの息子はモンテカルロに移住。タヴィストック侯爵となっておりました。
1990年にタヴィストック侯爵と蝋人形でなじみのタッソーグループと組んで公園に「ネメシス」「オブリヴィオン」というジェットコースターを造ろうとしたけど、アルトンタワーズを買ったタッソーがそれをジェットコースター建設計画場所に移築した。
1999年から2002年にかけてBBC2で放送された「Country House in three」(全29話)のロケ地にもなった。
タヴィストック侯爵は2002年アメリカ、ニューメキシコ州サンタフェで亡くなった。その息子アンドリューが第15代ベッドフォード公爵となり、この邸を運営している。


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ターヴィーアビー-Turvey Abbey-
Turvey Abbey


この邸宅の名前はノーザンプトンのセントジェームズ修道院が所有していた土地からきている。しかし、歴史的に見てここは修道院ではなくやはりマナーハウス。ジョン・ヒギンズがジャコビアンスタイルの邸を建て、その息子のチャールズ・ロンゲット・ヒギンズがターヴィー村を再開発した。
今では「Priory of Our Lady of Peace」(聖母教会)に属するベネディクトはの修道院として修道女だけでなく修道士も救いを求めて祈りをささげている。(けどしっかりと商売もしてます)


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ショートミードハウス-Shortmead House-
Shortmead House
Shortmead House1


この邸宅は16世紀初頭、ビッグルウェイドのセントアンドリュース教会への寄進により、ショートミード牧場としてトーマス・ブッチャーが所有した。
邸宅は1790年に建てられたジョージアンスタイル。1884年に54haあった土地と建物は競売にかけられ、全体を小さくして(8.1haに減少)今日の不動産が存在する。邸宅は損傷が激しく、内部も外部も補修する必要があった。
1999年にイアン・ボンドが邸宅を購入すると、妻のマリリンの助言も取り入れて、2002年からフォーマルな建物に造り変えた。
この不動産にはイギリスの絶滅危惧種となっているホクオウクシイモリが保護され、またオーストラリアで1994年に発見されたウォレマイパインが植樹されている。


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モガーハンガーハウス-Moggerhanger House-
Moggerhanger House1
Moggerhanger House2
Moggerhanger House


オリジナルのモガーハンガーハウスはジョージアンスタイルの小さな邸宅だった。1790年から1793年にかけてイングランド銀行の頭取だったゴットフリー・ソーントンがジョン・ソーンに依頼して建てたもの。ソーントンの息子のスティーブンは邸宅を大きくするために1806年から1812年にかけてまたもジョン・ソーンに依頼した。邸宅は西に拡大し、北に玄関を配置すると屋根を葺き替えた。1793年時の面影を残しつつ古典的な風貌を損なわずソーンは邸宅を完全にリモデルした。
邸宅は1919年に結核の隔離病院となり、1950年には整形外科病院となり、1960年にはベッドフォード病院となり、新しい病棟が造られた。1987年に閉じるも1995年までに建物の修復が始まると10年かけて直された。
ここにカフェテリアがあったが2011年に閉じられたけれどもそれは2012年2月に開店する計画になっているらしいけど、どうなったかまずは



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