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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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コーティーンホール-Courteenhall Estate-
Courteenhall

この邸宅は同名の村とともに育まれてきた。
土地は1647年にRichard Ouseley から Sir Samuel Jonesが買った。
屋敷の隣にある公園は370エーカー(150ha)を擁し、フォーマルガーデンは1791年にハンフリー・レプトンが設計して第9代サー・ウィリアム・ウェイク卿バートが造らせた。ウェイク家は通説によるとザクソン人のヒーローでノルマン人からの支配からイギリスを守ったHereward the Wakeの子孫だとか。ウィリアムはサミュエル・ジョーンズの甥に当たる。そして彼はやがてピディントン男爵となる。
今でも屋敷はウェイク家のプライベートな私有地で、屋敷の近くにはサミュエル・ジョーンズ創設の農業学校と厩舎がある。


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コットスブルック ホール-Cottesbrooke Hall-
Cottesbrooke Hall
Cottesbrooke Hall
Cottesbrooke Hall


不動産はクリートンの村の1マイル北にあるコットスブルックの村にある。
田園地帯の広い景色の中にある屋敷はクイーンアン様式の完璧に近い保存状態で建っている。1702年から1713年にかけてサー・ジョン・ランガムによって建てられ、現在までほとんど様式を変えずにオリジナルの建物が保たれている。また世界のスポーツ絵画の中でも広範囲な種目を取り扱ったコレクションの一つのWoolavington Collectionがある。
屋敷は18世紀のコッテスブルック公園を擁し、室内装飾や家具は高級感あふれるものがたくさんある。またクリスティーズが選ぶヒストリックハウスの2000年のガーデン・オブザ・イヤーを受賞している。
建物と敷地は5月から9月まで公開しているが、事前に予約が必要とのこと。



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キャノンアシュビーハウス-Canons Ashby House-
Canons Ashby House
Canons Ashby House
Canons Ashby House
Canons Ashby House
Canons Ashby House



ノーザンプトン、ダベントリーにある邸宅。
16世紀以来ドライデン家が所有していた。1550年に建てられ、1590年と1630年、1710年に増築された。
1551年にジョン・ドライデンはエリザベス・コープと結婚し、L字型の農家を土台に屋敷は年代を重ねるごとに大きくなっていった。1590年に息子のサー・エラスムス・ドライデンは砂利に覆われた中庭の北側に離れ的な屋敷を増築。内装はエリザベス朝の壁とジャコビアン風の漆喰で造られていた。
中庭は木で母屋と離れを分けていたが、16世紀になるとその木を果実の木に変えていった。1710テラスから果樹園を通り抜けると橋があり、中世からの教会がありと…いろいろ趣向が凝らされた。
やがて屋敷は家族の思いとは別に管理しきれなくなると、20世紀になるとナショナルトラストに管理されるようになった。20世紀半ば、Gervase Jackson-Stopsはナショナルトラストの建築アドバイザーとして働きかけていた。彼はこの屋敷が歴史的な観点から重要な位置を占める建造物だと考え、国の寄付に基ずく援助ではなく寄付による補修する取り組みを取り入れていった。
また建築家であり優れた英国の金細工師ルイ·オスマンは、1970年から1979年までここ住んでいた。彼が住んでいる間、オスマンと彼の妻、ディリス・ロバーツは1969年にプリンス·オブ·ウェールズのために金のエナメル細工の王冠を造った。彼らはまた、1976年に米国の国会議事堂にマグナカルタの紋章の金のエナメルのカスケットを作った。



national trust







ボートンハウス-Boughton House-
Boughton House
Boughton House
Boughton House




ノーザンプトン、ゲッディントン近くにあるバックルー公爵の領地。
元々あった修道院の建物がヘンリー8世の修道院解体に伴って、王立裁判所の主席裁判官だったエドワード・モンタギューが王より授かった。モンタギュー家は1683年に公爵になり、その一代目のラルフがこの屋敷を建てた。屋敷というより大陸的にいえば宮殿です。ラルフはフランス大使であったためにフランス建築の影響を受けている。第2代公爵のジョンは叔父のジョン・チャーチル、マールバラ公爵がヨーロッパを旅行した後にその風景に感銘を受けたのに影響され、その庭園を手直しした。モンタギュー公爵第三代ジョージが1790年に亡くなると、彼の娘のエリザベスは第3代バックルー公爵で第5代クインズベリー公爵でもあるヘンリー・スコットと結婚し、屋敷はバックルー家のものとなった。
この屋敷はずっと住まいとして使用され、よく手入れがなされているために、イギリスでもっとも保存状態のよいバロック様式の屋敷として存在する。



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バーンウェルマナー-Barnwell Manor-
Barnwell Manor


このマナーハウスはアウンドル近くのバーンウェルの村にあり、グロースター公爵の昔の住まいだった。
この邸宅は1540年にヘンリー8世からモンタギュー家に与えられた邸宅で、1913年までモンタギュー家が住んでいた。1938年にジョージ5世の三男ヘンリーはグロースター公爵を授かり、彼はジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット バックルー第七代公爵の娘アリスと結婚してこの邸宅を買った。アリスはモンタギュー家の子孫だった。
1995年当時この邸宅を維持するための経費が年間35000ポンドから50000ポンド掛かるということで、ベレンジャー・アンチークスに貸し出し、グロースター公爵リチャードと夫人でデンマーク出身のビアギッテ・エヴァはケンジントン宮殿に住んでいる。
この邸宅はもともとこの地に有ったラムジー修道院に所属するバーンウェル城があった。ラムジー修道院はヘンリー八世のローマカトリック教会から離脱する一六世紀前半まで存在したがその後には王家のものとなった。主たる住居はエリザベス様式の邸宅として増築されたが、1704年に城や古い住居部分が取り壊されて今のような邸宅に建て替えられた。4つのレセプションルームや7部屋のプリンシパルベッドルーム。6つのバスルームが備わっている。









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