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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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クースィー城-Château de Courcy-
Château de Courcy
Château de Courcy
Château de Courcy


この城はカルヴァドス地方の南に位置する城。
城は12~13世紀に建てられた軍事的な要塞として建てられた。
1091年にロベール・クルトーズはリシャルト・ド・クースィーの軍に包囲されて城を明け渡した。
17世紀から行われたリシュリューによる農業政策により、城の軍事的な意味合いはなくなり、城は放置されだんだんと廃墟となっていった。
1975年に国の歴史的記念物に登録され保護されるようになったがj城壁は荒れ果てるばかり。



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カノン城-Château de Canon-
Château de Canon


この城の起源は中世に遡る。ウード・ド・カノンがこの地を所有していたが、やがてフタンクヴィル家の物となった。そして、1689年にはトマス・ド・ベレンゲルの所有するものとなった。
トマスの息子、ロバートは一時イングランドに亡命し、1727年にイングランドの格安な銃を販売することによって蓄財をし、城に新たな池や堀、マナーを作ることによって今あるような城に建てかえた。
1760年にベレンゲル家の唯一の相続人であったアンヌ・ルイーズ・デュ・メンスニルはジャン・バプティスト・ド・ボーモンと結婚した。1727年に一時この城は借金のかたに取られていたのをボーモンがヴォルテールに頼んで帳消しにさせたことから、この結婚が成立したようなもので、いわゆる計算すくめのボーモンの芝居(?)だったのでは?と疑われる節があったような議事録が残っている。
この城はその後ボーモン家に受け継がれていった。その中には革命後にニュージーランドへ渡った人物もいて、その名前がニュージーランドの山の名前にも残っている。(マウントボーモント)
第2次大戦中はドイツ軍に接収されると病院として使われた。そんな中レジスタンス活動の中でひそかに連絡に使われ、城の木陰に飛行機を隠していたりしたとか。映画の「ワルキューレ」でそんな場面を観たような。
城の中にあった美術品は今はアメリカの原爆製造会社
に保管されている。
今はこの地の名前にもなっているカルバドスの醸造所であり、ワイナリーにもなっている。


official







カーン城-Château de Caen-
Caen, France, photo taken from the chateau of Caen, archeological  discovery
Le Chateau de Caen (prononcer quand)
the inside of the chateau, with the main campus of caen in the background
Caen, France


城は1060年にウィリアム征服王がこの地に建てた。
彼の息子のヘンリー1世が中庭にサンジョルジュ教会とホール(1123年)を造った。
1182年のクリスマスにヘンリー2世と共に王の住まいを建て、リチャード獅子心王やジョン・ラックランドや1000人以上の騎士たちとともに祝いの席を設けた。
1204年にはカーン城やノルマンディーの領土は、一旦フィリップ2世によりフランス領土になった。そして彼は要塞の城壁を補強した。
やがて100年戦争に突入するとイギリス、フランスの手に渡るたびに城は破壊されては補強されていった。
1793年にフランス革命のブリュメールの日にはここに国民公会を置いた。
第2次大戦には兵舎として使用され、1944年にD-dayの攻撃と共に破壊された。
1946年考古学者のミッシェル・ド・バールが中世の城の発掘調査が始まった。
1967年にはミュゼー・ド・ボー・デ・ザールが設立され、1971年にオープンした。


official







ブルワイェール城-Château les Bruyères-
Château les Bruyères


最初に古い城を建てたのは1284年にフランソワ・フォスによるもの。
年代を重ねるごとに補修を繰り返し、やがて19世紀に今のようなマナーハウスが建てられた。
領地のなかに建つ城はノルマン形式が建っていたが、フランス革命時代の軍事侵攻によって城は一時的に破壊され、ナポレオンの時代にレンガつくりの城が建てられた。そしてプティ家が20世紀初頭まで城を所有していた。
1904年から1914年にかけてマルセル・プルーストが城を所有すると、ここで小説を書いた。
1925年からは調香師のシャディー・バラック夫妻のものになり、彼らは庭園にプラヤナスやぶなの木を植え、印象的な並木道を作り上げた。
エミール・ラングロワとマルセル・マンシスはジョルジュ・クレマンソーを招き、ここで彼女の作品の「ティグレ」の原稿が書かれた。
1992年に城はホテルとして生まれ変わった。しかし、外観のレンガの様相は漆喰へと変わり、マンションのファザードも19世紀の風合いとは違っていた。
近くの農園はカルバドスの農園となり、また城に併設される牧場は有名な種牡馬のスタリオンとなり、付属のジャンプ会場では国際的な大会が毎年催されている。


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ベヌーヴィル城-Château de Bénouville-
Château de Bénouville
Château de Bénouville
Château de Bénouville
Château de Bénouville
Château de Bénouville
Château de Bénouville


カーン市の郊外ベヌヴィルに建てられた城。
1769年にクロード・ニコラ・ルドゥーによって設計され、1770年から1774年にかけて建設された。
また1776年から1780年にかけてリヴリー侯爵ヒッポリテ・フランソワ・サンクインとその妻のテレーズ・ボンヌ・ギリアン・ド・ベヌヴィルに依頼され、カーンの建築家ジャン・フランソワ・エティエンヌ・ジレが内装を受け持った。
しかし、フランス革命で財産を没収された後に、革命政府の一員でもあったであろうフェルミエ侯爵であり将軍の未亡人がこの城を購入したが、彼女の命も1794年に断頭台に捧げられた。その後彼女の娘が城を継承すると、1927年までその家系がこの城を保有した。
第2次大戦中はこの城はレジスタンスの基地となり、マダム・ヴィヨンがイギリス側との連絡役になり、ドイツ軍将校のハンス・ホエラーとの接触により、スパイ活動に成功すると、ノルマンディー上陸作戦の計画が侵攻していった(詳細は定かではない)
やがて戦後、歌手のジェラール・ルノルマンがこの城を1980年に修復し復元。1990年に公開することとなった。


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