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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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ポンペラ砦-Fort de la Pompelle-
Fort de la Pompelle

944年にシャロン・エン・シャンパーニュからランスへ向かう巡礼路の村としてできたところ。
しかし、第一次世界大戦のドイツ攻略のための砦として造られた。近年の戦争。とくに20世紀に入っての世界大戦はフランスを大きく疲弊させた。
1914年にフランス第138歩兵連隊が、この砦をドイツ軍から奪い、ランスの町をドイツから開放させたのは大きな攻勢となった。
今では戦争の博物館として多くの観光客を迎えている。


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モンモール城-Château de Montmort-
Château de Montmort
Château de Montmort
Château de Montmort

スルムラン渓谷の有数のシャンパン生産地にはいくつかの貴族が領地を持っていた。
ブリーとエタンの間に位置するモンモール村は最初シャンパーニュ伯爵のジェルモン・ド・モンモールが所有し、1394年にはアンジェ家、1706年にはピエール・レモン・ド・モンモールが城を買い、その後はずっとモンモール家がこの城を所有している。

official







モンミレーユ城-Chateau de Montmirail-
Château de Montmirail

ダルマース・ド・モンミレーユのラ・フェルテ・ゴーシェが領地として所有。
13世紀後半にはクーシー家、その末裔の娘がジャン・ピエモンテと結婚しピエモンテ家のものに。
15世紀にはピエモンテ家の跡継ぎの娘がザール・ブリュック家のロベール3世と結婚しザール・ブリュック家のものに。シリー家、コンディ家、トレモワル家。ルヴォワ家、ロシュフーコー家へと受け継がれていった。







マルケットリー城-Chateau de la Marquetterie-
Château de la Marquetterie

オリジナルの城は1734年に建てられた。
フランス革命までヴォルテールやアンドレシェニエなどの作家や哲学者を招いていたジャック・カゾットも1792年には断頭台の刃にかかってしまった。
第一次世界大戦の激戦の近くで、ジャック・ド・カステルノーがここで指揮をとり、攻勢に転じた。
その後、ピエール・テタンジェがシャンパンのなだらかな斜面にピノノワールやシャルドネの苗を植えてワインつくりに精をだした。
第2次大戦が始まり、一時アメリカ軍の部隊の駐屯地となった。(第2次大戦時のアメリカ軍はこういった城をほとんど軍の司令官の宿泊所にしていた。)




マレイユ・スル・エ城-Chateau Mareuil-sur-Ay-
Mareuil-sur-Ay chateau

1765年にルイ15世様式の城をパンジュ侯爵トマ・ド・ドマンジェヴィルの次男が妻のために建てた。
彼女の子供のころを思い出させるモーゼルのパンジュ城をまねて造った。
しかし、結婚まもなく侯爵は死んでしまった。その後3人の子供たちによる遺産争いにより、城は売られた。パンジュ侯爵が生存中にはアンドレ・シェニエなどを招いてにぎやかな自由闊達なサロンが開かれていたのだが…。
1793年にはこkはオルレアン公爵のものとなったが、その後は何人かの所有者に渡っていった。
やがてランスのアヤラ侯爵の手に渡り、今では有名なシャンパンを造るシャトーになっている。


■Ayala アヤラ
生産国/生産地:フランス>シャンパーニュ>アイ
■歴史
 アヤラはもともとスペインの貴族の家柄であり、スペイン領であった南米で独立戦争を戦ったのち、コロンビアの外交官としてパリに赴任した父を持つエドモンド・デ・アヤラが、シャンパーニュ地方でシャンパーニュ造りを学んだことから彼らの醸造の歴史が始まりました。
 1860年にはマルイユ子爵の娘と結婚し、妻の所有していたアイのシャトーと、アイとマルイユ・シュール・アイの素晴らしいブドウ畑を手に入れました。
 そのクオリティは高く評価され、メゾン・アヤラは、たちまち英国などで高い人気を博しました。
■現在
 シャンパーニュのブドウ畑のほぼ中央に位置するアイにあり、規模的には非常に小さなメゾンです。
家内工業的な経営のため、まさに「オートクチュール*」のシャンパーニュ造りを実現しています。
現オーナーのジャン・ミシェル・デュセリエ氏は、1948年以来、シャイヨーの片腕としてアヤラでその手腕を振るい、アヤラの共同経営者となり、シャイヨーの死後、事業の一切を譲られました。
 デュセリエ氏と今日社長を務める彼の息子アラン・デュセリエ氏は、情熱をもって経営に当たり、アヤラのその名を世界中に知らしめています。
■シャンパン造り■
 アイ村を中心に、ほとんど100%グラン・クリュの自社畑を30ha所有し、前生産量の約20%をまかない、それ以外の購入するブドウはピノ・ノワール(50%)とシャルドネ(25%)とピノ・ムニエ(25%)を、いずれもプルミエ・クリュかグラン・クリュのものです。
購入する際は、仕込みのすんだワインではなく、ブドウのままでのみ購入し、醗酵から瓶詰め、出荷まですべて自社で行っており、それは、非常に手堅いシャンパン造りと業界でも定評があります。
年間大体、90万本生産し、115万リットルもの貯蔵があるといいます。1911年の暴徒によって破壊された後、1913年に再建されたアヤラのカーヴは、地下80フィートの深さに掘られた、長さ2.5kmの地下窟です。

*「オート」は「高級な」、「クチュール」は「仕立て」を意味する。つまり、いわゆる既製に対応する仕立て(オーダーメード)が「オートクチュール」








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