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ヴァレンチノ宮殿-Castello del Valentino-
  1275年に聖ヴァレンティヌスのための教会と城がこの地に築かれていた。 その聖遺物は聖ヴィト教会に保存され、その跡地に壮大な宮殿がエマニュエル・フィルベルト・ディ・サヴォイアがアンドレア・パラディオに建てさせた。 ここはヴィットリオ・アメーデオ・ディ・サヴォイアの母、マリア・クリスティアーナ・ド・ブルボン・フランシアが内装や概観の装飾を指揮した。 マンサール様式の天井や4つの角を持つ塔は馬蹄形に建物を囲み、床は全て大理石。 ルイ14世の娘はその故郷の宮殿を懐かしく思い起こしていたのだろう。 2月14日はこの地で聖ヴァレンチヌスのために恋人たちを祝うイベントが行われる。 site
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トリノ中世城-Trin medieval Castillo-
   何処の国の権力者もアミューズメントパークをつくるのが、夢だったのか・・・。 トリノのポー川のほとりに、ローマ近郊のVillaのような中世の城が造られ、軒を並べる商店でさえも中世さながら。 これはヴァレンティノ公園の一角にある。 official
パラッツォ・マダマ-Palazzo Madama -
   イタリアのピエモンテ州の州都。そして近代においてはサボア家が統治したサボワ王国の首都だったところ。サルディニア出身のサボワ家は神聖ローマ帝国において着々とその地位を強大にし、最後にはイタリアを統一、サボワ家が最初の統一イタリア王国の国王でした。 最初はネロ皇帝の浴場の跡地に宮殿をファルファ修道院の司教が建て、新しい宮殿はメディチ家が建てた。 カトリーヌ・ド・メディチの息子がやがてこの宮殿に住む。が彼はシャルル5世の跡継ぎではなく、フランスにはいられなくなったのか、トリノで過ごし、その家系はファルネーゼ家となった。 しかし、メディチ家はやがて勢力をなくすと、ここはローマ教皇ベネディクト14世の住まいになる。 今はイタリア国会の上院が置かれている。 official
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