FC2ブログ
宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

プロフィール

zamekzamek

Author:zamekzamek
貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


現在の時刻

月別アーカイブ

分類

検索フォーム

最新記事

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





ツヴァイフェル城-Burg Zweiffel-
Burg Zweiffel


ベルギッシェ・グラッドバッハ市の北東3キロほどにあるヘレンストレンデン(マルタの騎士団が居た場所)のツバイフェルにある城。
マルタの騎士に由来する所有者が代々継承し、今なお個人所有になっている。


official


ノルトライン・ウェストファーレンの城もここで一旦一休み。
あげればいくらでもあるようで、もっと違う地方(バーデンヴュルテンベルクとかヘッセンとかブランデンブルクとかベルリンとかリュービンゲンとかもあるし、オルデンヴァルト(ヘッセン・バイエルン・ビュルテンベルク州にまたがる森にある城。ニーベルンゲンの伝説にまつわり、その名前の由来が北欧神話の神オーディーンからきているともいわれる城がいっぱいあるところ)まだまだドイツの城はいっぱいあるし紹介しているサイトは多い!!
ドイツ人は日本人に近いような性格で懲りだすととことん突き詰めるから見ていて楽しいんだわ!
(どおりで日本のアニメファンが多いのにも納得)



スポンサーサイト




ツヴァイブリュケン城-Schloss Zweibrüggen-
Schloss Zweibrüggen

1397年レイナルト・フォン・ツヴァイブリュッケンが領地を取得。
1457年ハインリッヒ・フォン・ツヴァイブリュッケンが堀にめぐらされた城を建てた。1486年にツヴァイブリュッケン家の娘がニクラウス・フォン・ミルバッハと結婚することにより、城はミルバッハ家にもたらされた。
1552年に息子のヨハンとヴィルヘルムが共同で所有し、1605年に二人の息子のヴィルヘルム・フォン・ミルバッハとニコラウス・フォン・ツヴァイブリュッケンに継承された。1648年にはヘルマン・フォン・ミルバッハがツヴァイブリュッケンから投資を受けて、1676年にハンス・ヴィルヘルム・フォン・フォスの手に渡った。
いろいろな家系との結婚をしながらも、継承していったファミリーはツヴァイブリュッケンと名乗っていた。1993年まで個人所有だったが、その後にはユーバッハ・パレンベルク市に渡された。
城は1788年にブリュールのファルケンルストを模して建てられた。



site








ヴィトゲンスタイン城-Schloss Wittgenstein-
Schloss Wittgenstein

1187年当時の呼び名は「Widenkindigstein」。
最初の要塞としての城を建てたのはバッテンベルク家。1190年にマインツの大司教のバックアップを得て、ヴェルナール・フォン・バッテンベルク・ウンド・ヴィトゲンスタインが建てた。
1238年にはバッテンベルク家はヴィトゲンスタイン家とに分家し、ジークフリート1世・フォン。ヴィトゲンスタインがラースフェの町とこの城を領地とすることになった。
やがてヴィトゲンスタイン家の男性ラインが途絶えると、サイン家がこの城を所有し、サイン・ヴィトゲンスタインと名乗るようになった。
30年戦争で城は大破すると、その後ルネッサンスからバロック様式に城は建て替えられた。
1950年までサイン・ヴィトゲンスタイン・ホーエンスタイン家のプリンセスが住んでいたが、この城を手放し彼女はシュワルゼナウ城に住居を移した。
1960年以降、ここはギムナジウム・シュロス・ヴィトゲンスタインとしてお金持ちの方々の全寮制学校になった。


Gymnasium












ヴィルデンベルク城-Schloss Wildenberg-
Schloss Wildenberg
Schloss Wildenberg

ここはホッホザウアーラント地区のブルンスカペルにある城。
953年にここは東フランク王国のハインリッヒ1世の2番目の息子として生まれ、マチルダ・フォン・レギンリントを妻にすることでザクセン公を名乗ったケルンの大司教、ブルン・フォン・ケルンのものとなった。城は1295年の建築。城の様式はビトギントによるロマネスク様式を模して建てられている。そして、ビトギントが亡くなると、ここには彼の妻のアデレーデ・フォン・ヴィルデンベルクが住んだ。
その後。子孫がすみ続け、1817年には歴史家のヨハン・シベルト・シーベルツが所有した。1822年には彼は古い城を改装したが1907年に城は焼失。そして今の新しい城に建て替えられた。
1980年にシーベルツ家はネーガー市に売却した。






site







ヴィーターシェイム城-Schloss Wietersheim-
Schloss_Wietersheim


ミンデン・リュベッケ地区ペーターズハーゲン市の近隣にある城。
1323年にミンデン大聖堂を護る騎士の騎士団長のものとして、ミンデン司教から信託される。
この地はシェーンベルク伯とミンデン選帝侯との紛争に巻き込まれ、城は30年戦争の時代には完全に破壊された。
城は1810年に礼拝堂の跡地に八角形のかわいらしい新古典主義の城が造られた。
カール・フォン・ショロタイムはナポレオン・ボナパルトの弟のジェローム・ボナパルトの娘のフェリシテ・メラニーと結婚した。
ウェストファリア王(1807年から1813年に存在しライプツィヒの戦いでナポレオンはプロイセンに負け消滅する。ヘッセン州、ニーダーザクセン州、ノルトライン=ヴェストファーレン州、ブレーメン、ハンブルク、テューリンゲン州とザクセンアンハルト州の一部を含むドイツにおけるナポレオンの息のかかった政権)は1810年にカール・フォン・ショロタイムはヴィーターシェイム公爵となり、ミンデン司教区の政治・財政の管理を取り仕切った。
息子のエドゥアルト・エルンスト・フランツ・ヨハン・フレイヘル・フォン・シュロタイムはここで生まれた。
第2次世界大戦ではこの城はウィンドハイム・ラーデのオフィスになっていたので、没収しようとしたら城は爆破された。戦後1949年2月までここは戦勝国の管理下に置かれた。(やっぱりサリンを作っていたんだ)
城は現在個人所有だが、第2次大戦で城の周りを囲っていた森林は伐採されて完全になくなってしまい、今はそれを復元しつつある。(本当に伐採でなくなったのか…アヤシイ~~!)


site










上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。