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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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Schloss Ismaning
1530年フライジングの司教をしていたフィリップ・フォン・デル・プファルツにより四方に塔を配したルネッサンス様式の城として建てられた。
1716年から1724年にかけて、城はヨハン・フランツ・フォン・エッカーによりバロック様式の城へと生まれ変わった。建築家ドミニク・グレスルとヨハン・バプティスト・ツィマーマン作品でもある。
でもナポレオンがバイエルン侵攻することで、世俗的な司教の座は廃止され、それと共にナポレオン軍によってこの城は略奪に遭い荒廃していった。
ウィーン会議後、城はロイヒテンベルク公爵夫人でバイエルン王マクシミリアンの娘のアウグスタ・アマーリエのものとなった。彼女が1851年に他界すると、城は幾多の所有者を経て1899年から1919年までミュンヘン市の所有となった。またそれ以降はイスマニング市の市庁舎として使われている。
アウグスタ・アマーリエの使っていた客間がそのままの状態で保存されているのが興味深い。 home
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テュスリング城-Schloss Tüßling-
Schloss Tüßling
Schloss Tüßling



ヨハン・ビート・フォン・テリンクが1581年から1583年にかけて建てた城。中庭を囲むように建てられた城の四方には八角形の玉ねぎ型の屋根を持つ塔が配されたルネッサンス様式の建物。最初は堀に囲まれた水城だったが、1712年に火災によって焼失すると外観はそのままにバロック様式の内装が施された。
しかしその反面中庭に面するところは典型的なゴシック様式になっていて、トスカーナの様式が用いられたいくつにもアーチ型の梁と柱の形のアーケードが特徴的。このスタイルの城はアルプスに近い地域によく見られる。


official







ブルクハウゼン城-Burg zu Burghausen-
Burg zu Burghausen
Burg zu Burghausen
Burg zu Burghausen
Burg zu Burghausen
Burg zu Burghausen
Burg zu Burghausen

バイエルンで一番大きな城というかヨーロッパで一番長い城。
オーストリア国境、イン川のほとりにある。ザルツァッハ氷河を超えるとそこはザルツブルク司教区。
この城の起源は古代ローマ帝国のマルクス・アウレリウスの時代に城があったとされる。彼の顔が刻まれたコインが発掘された。
1025年にバイエルンはルクセンブルク家のハインリッヒ5世によってブルクハウゼン王国が建国された。やがてバイエルンの諸侯のジークハイディンガー家と争いが起き、1130年に町の市場での交易の自由を双方確保した。1140年には世界にある聖ヤコブ教会の源のTalsiedlungが建てられた。
1168年にゲブハルトⅡ・フォン・ブルクハウゼンが亡くなると、この城は1180年にオットーⅠ・フォン・ヴィッテルスバッハが継承することになった。
ヴィッテルスバッハの領地になるとこの城は大規模に拡張され、ランツフート地区のトラウスニッツ城と繋がるようになった。
15世紀になるとオスマントルコからの侵攻に備え、城をさらに強固な要塞へと変化させていった。
城下町はそれに備え、兵役、年貢なども納めなければならなかったし、何より町のつくりをそれぞれの教会を中心とした広場を護るように家が立ち並び人々が集う広場は大きなものとなった。その一角一角に100頭の厩舎を配し、その頃にいまの長い城の形態が出来上がった。
1504年から1505年にこの城を継承するヴィッテルスバッハ家はミュンヘンラインとブルクハウゼンラインとに分かれていた。それを統一しようとしたミュンヘンラインとのヴィッテルスバッハ家同士の戦争が起った(ランツフート継承戦争)それによりこの地域の首都としての機能をなくされたが、ブルクハウゼンのヴィッテルスバハ家はこの城に住み続けた。
30年戦争ではこの城に攻め入ったスウェーデンの陸軍元帥グスタフ・フォン・ホルンが捕らえられ、1634年から1641年まで地下牢に幽閉された後死亡した。
1740-48年のオーストリア・バイエルン継承戦争後、この城の近くにオーストリアとの国境を設け、ナポレオン侵攻時にそれは容易に確認された。そして1801年からナポレオンの部下ミッシェル・ネイがここに駐屯、ブルクハウゼンの要塞はナポレオンに否定され、城の要塞化された部分はことごとく破壊された。1891年にこの駐屯地は放棄された。
1896年から城は復元作業に入る。幾度の戦争で中断されながら、城は1960年からも改修作業が行われた。今日ではBayerische Verwaltung der staatlichen Schlösser, Gärten und Seen が城を管理している。2002年にはガーデンショーのために今一度の城の整備が行われ、博物館、美術館と今では市民の憩いの場。

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ヴュルツブルク・レジデンツ-Würzburger Residenz-
Residenz, Wurzburg
Wurzburg_07
Wurzburg - Residenz
ヴュルツブルク・レジデンツ外観

Residenz - gand staircase
Wurzburg Residenz - Upper balcony altar
Part of the mural on the wall at the Residenz
Residenz ballroom
バルサザール・ノイマン作の宮殿内装。

Residenz at Wurzburg
100 Wurzburg -- Baroque Bishops' Residenz French garden 104
Fountain at the back of the Residenz
庭園

ヴュルツブルク司教の権力が如何に凄かったかなんて思わせる宮殿です。
第2次大戦では翼部分が破壊されてしまいましたが、運良くバルサザール・ノイマン作の正面階段からのホール部分の大装飾は無事だったために、1981年に世界遺産に登録されたんです。

official


やっとバイエルン地方の城を網羅できたようなできなかったような…。
ドイツバイエルンの城紹介はここで終わり。
次はどこにしようか?wikiにあわせるか、アルバート・スピエルマンさんの写真に順ずるかは、わかんない!









ツゥマルシャウゼン城-Schloss Zusmarshausen-







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