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宮殿・城郭・城館・邸・田舎の貴族邸いろいろ ーただのwikiを訳しただけー
お城好きだけど歴史に疎い 何を如何したいのか? 解りません。 そのお城に関わる物語を紐解き、妄想の糧に      ただのアホ

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貧乏人は贅沢な領主たちの生活がしてみたい。
特にヨーロッパの王侯貴族のように・・・。
そこから城好きが始まりました。


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アルギー城-Château d'Argy-
Château d'Argy
Château d'Argy
Château d'Argy
Château d'Argy


11世紀のこの土地にダルギー一族が教会を建てて領主として君臨する。やがて若きブザンソンのブリヤック家の息子は13世紀にポワトゥーからきたこのダグリー家と婚姻関係を結んだ。
城は12世紀に建てられたが、16世紀にシャルル・ド・ブリヤックがイタリアの戦争で亡くなる前に再建された。
フランスルネサンスの初期のころの趣を彼は大変好んだ。
城は17世紀に40ヘクタールにまで拡大された。1862年にはクラブ・デュー・マノワールというところにより城を復元、城の納骨堂は国立公文書館の管理となった。また1966年にはベリー公爵により農民博物館として生まれ変わった。



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ヴィルボン城-Château de Villebon-
Château de Villebon
Château de Villebon
Château de Villebon


城は14世紀に堀に囲まれた水城として建てられた。
スリー公爵マクシミリアン・ド・ベトゥーンが1641年ここでなくなっている。
1927年に歴史的建造物になり、1981年にも追加登録された。




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ヴォー城-Château des Vaux-
Château des Vaux
Château des Vaux


17世紀にシャルル・ド・ルーサンの領地となった。
城は革命の10年前に完成したが、農場を管理運営していくには資金が不足していたために、1789年にルイ・デュッシューに城を売った。ルイの死後、彼の子供は1804年にエティエンヌ・ダリグル侯爵に城を売った。
その後ポメリュー・ダリグル侯爵は19世紀にかなりの領地拡大をし、それに伴って城も拡大していった。
城の本館から2つの翼館を付属させ、そこに礼拝堂も繋げた。また敷地内には1000頭の鹿が飼われ、狩猟場として社交の場となった。城のダイニングにはセーブルの食器類が飾られ、またジビエ料理を出す際にはそれらを活用した。1889年にダリグル侯爵の男性家系が途絶えると、未亡人が1926年まで城と農場を管理していったが、その後はホテルとして使われた。
戦後城は農場としてワインつくりに精を出し、ワークショップとして活用されている。




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アボンダン城-Château d'Abondant-
Château d'Abondant
Château d'Abondant


最初の領主としてピエール・ド・ビゴがフェイ家の領主として所有していた。
1485年にジェローム・ド・ラ・ギリーがフェイのアボンダン領主として受け継ぎ、1560年にジャン・ド・マンゴが50人の親戚の代表として土地を受け継いだ。1618年にはその息子のルイ・ド・マンゴが世襲した。
17世紀の第一四半期にはヨアシム・ド・ベラングルヴィルがGrand prévôt de Franceとして領地を取得し、彼が亡くなると未亡人のマリー・ド・ラ・ヌーが所有し、その孫のフランス海軍船長のフランソワ・ド・ラ・ヌーがジャック・ド・ブーシェ・ド・スーシェと土地の交換をした。今の城はその頃建てられた。建築家はジュール・アルドゥアン・マンサールが最初に手がけ、孫のジャン・アルドゥアン・マンサール・ド・ジュイが18世紀に新たに手を加えた。
ブーシェ・ド・スーシェ家の家系からトゥールゼル家に受け継がれ、やがて1786年にトゥールゼル侯爵が狩猟中の事故で亡くなると彼の未亡人はいくつもある城のうちのひとつに子供を育てるために宮廷を去ったために、城は無人になった。それをマリー・アントワネットはポリニャック公爵夫人の子供をこの地方の知事に任命したために、この城をポリニャック家に与えることとなった。
革命で一時城は荒廃し住む者がいなかったが、トゥールゼル侯爵はルイ18世統治下に生き延び、この城を再び手に入れた。が、彼も1832年に亡くなる。
1845年にトゥールゼル家の姻戚関係にあったリムーザン出身の貴族ペリュセ・デ・カール家に城は渡った。
1920年には実業家のフランクリン・シンガーが所有。やがてJPモルガンが所有すると、その後はロスシルト家が所有した。
戦後城は国際難民機関の事務所となった。




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シャントループ城-Château de Chanteloup-
Chanteloup (9)
Château de Chanteloup

このお城はルイ15世の重臣、エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズールが1760年に建てた。
彼はデュバリー夫人に嫌われて、この地に蟄居した。しかし、彼はルイ15世の外務大臣であったために、ヨーロッパ全土からの訪問者が彼のところを訪れ、盛大な夜会を催していた。
またパゴタ(仏塔)はショワズールがルイ・ドニ・カミュに命じて作らせた。
彼の死後、未亡人は
ペンティエーブル公爵に譲るが、革命後、この城は競売にかけられナポレオン帝政時のアンテリエール県知事ジャン・アントワーヌ・シャタルの手に渡る。彼は庭園をビート園にする。彼の息子がこの城を不動産にとして売りに出すが、悪徳業者に渡り完全に城は壊されてしまう。
今世紀に入ってその城は復元され、ホテルとして運営されている。


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